FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。為替相場分析の専門家がFXの歴史を分かりやすく謎解きます。今回は「黒田神話」について紹介します。

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前回は、アベノミクス円安(株高)という「政策相場」の主役、2度の「サプライズ金融緩和」で、とびきりの円安・株高のきっかけを作った黒田日銀総裁について書きました。黒田総裁は、2度の「サプライズ緩和」で、まさに世界の金融市場の度肝を抜き、一目を置かれるどころか、それ以上に注目される存在となりました。

ところで、一般的に黒田サプライズの成功物語、いわば「黒田神話」は、この2回の「サプライズ緩和」で説明されることが多そうです。そこで今回は、最後の「黒田神話」について述べてみたいと思います。それまで円安仕掛人のように見られていた黒田総裁が円安の幕引きに登場し、そしてそれに成功した2015年6月のことです。

「クロダに始まりクロダに終わった」円安

これまでも述べてきたように、2012年12月の安倍自民党政権誕生を境に、それまで70円台後半で推移していた米ドル/円は急上昇に向かいました。そしてそれが急加速する代表的なきっかけとなったことこそが、上述の2度の「黒田緩和」でした。

  • 【図表】米ドル/円の月足チャート(2012年7月~2015年12月)(出所:マネックストレーダーFX)

    【図表】米ドル/円の月足チャート(2012年7月~2015年12月)(出所:マネックストレーダーFX)

前回も書いたように、2度の「黒田緩和」は、ともに約一カ月で10円以上の大幅な円安をもたらしました。考えてみて下さい。2017~2019年にかけて米ドル/円の年間最大値幅は3年連続で10円程度となりました。一年でも10円程度の値幅にしかならなかったことが2019年にかけて3年続いたことからすると、2度も一カ月で10円以上の円安をもたらすきっかけとなった「黒田緩和」に、世界の金融市場がある種の警戒心、または敬意を抱いたとしても当然でしょう。

そんな中で、この「黒田緩和」に命名されたのが「黒田バズーカ(砲)」でした。相場に対して、「バズーカ砲」のような凄まじいインパクトをもたらす政策決定といった意味だったでしょう。

さて、このような2度の「黒田バズーカ」で勢いを得た米ドル高・円安は、2015年にはいよいよ120円を超えるところとなりました。それは、あのアベノミクス登場前、2012年12月まで、空前規模の米ドル買い・円売り介入を行っても、80円以上にすら米ドル高・円安への誘導さえ叶わなかったことからすると、隔世の感のあることだったでしょう。

こういった中で、米ドル高・円安は120円どころか、さらに130円を超えていくのではないかといった見方すら出始めたのです。私も、相場というものに何十年もかかわる中で本音として感じますが、上がるともっと上がる、下がるともっと下がるといった予想が噴き出すのが常のようです。

今から振り返ると、アベノミクス円安(株高)とされた相場も最終局面に差し掛かっていた2015年前半も、そんな雰囲気、つまり円安はまだまだ続くといった見方も少なくありませんでした。しかし、それに「ジ・エンド」、終止符を打ったのも、一般的には円安仕掛人との見方が強かった黒田総裁自身だったのです。

2015年6月10日、黒田総裁のある発言をきっかけに米ドル/円は124円台から2円もの急落(円高)となりました。そして歴史的に見ると、米ドル高・円安は、すでにそれより3営業日前にピークを打っていたのです。円安は「クロダに始まりクロダに終わった」形となったのでした。