監修を通して人を育てる
橋本和夫さんは、1963年から1995年までに写研で発表されたほぼすべての書体の監修をつとめた。
「写研 文字部でのぼくの仕事は、書体デザインよりも監修が主でした。写研の書体見本帳のなかで、どの書体をぼくがデザインしたのかを問われたら、本蘭明朝や紅蘭楷書など、ごく限られたものだけです。タイポスは桑山弥三郎さんらグループ・タイポのデザインですし、ナールやゴナは中村征宏さんです。けれど、原字を書体として完成させるには、写植の文字盤として使えるように修整していかなくてはならない。どういう特徴の書体で、どこを直さなくてはならないか。それを見る、すなわち監修をさせてもらった、というのがぼくの仕事でした」
外部デザイナーや社内スタッフの描いた原字がある程度の数できあがると、それを壁に貼って、橋本さんがチェックした。
「ぼくたちが描いた文字を壁に貼って、橋本さんが見るんです。『この字、ちょっと大きくない?』とか言いながら。ジーッと見られているあの時間、本当に嫌だったなあ(笑)」
当時、写研の文字部で原字制作にたずさわっていた鳥海修氏(現・字游工房)は苦笑する。
「でも、みんな真剣でした。原字をつくってはチェックを受けて直して、という繰り返しのなかで、書体のこういうところを見るんだなと、つくり方を学ぶことができた。いま思えば、ぼくらは写研にいたとき、ずっと勉強していたなと思います。ある意味、学校のようでした」(鳥海氏)
主格強調
写研での原字監修は、橋本さんがほぼ一人でおこなっていた。
「書体として質の高い原字にするには、1字1字のデザインが整っているだけではダメで、文字によって大小や太さ、黒みのばらつきがないようにし、どんな文字の組み合わせでもきれいに見えるようにしなくてはなりません。たとえば、手で文字を書くときには、必ず大小をつけますよね。『橋本』だったら『橋』を大きく、『本』を小さく書くのではないでしょうか」
「でも書体でそれをやると、違う漢字と組み合わせたときにバランスがおかしくなってしまいます。だから、同じ大きさに見えるようにつくることが大事なのです」
「それから、文字の黒さ。たとえば、画数の多い漢字と少ない漢字では、線の太さを変えて、黒みをそろえなくてはならない。漢字一文字のなかでも、どこかだけ極端に太く(黒く)見えるということがないようにしなくてはいけません」
そのことを現場で原字を描く人たちに伝えることが、とても大変だったという。
「特に『主格強調』という考え方を伝えました。たとえば『周』という字であれば、まわりを太く描き、中を細く描く。主な格を強調するような書き方にすると、太さがそろって見えるんです」
「そのようにして、どの文字を組み合わせても違和感のない統一された組版ができるような書体として完成させるということが、外部デザイナーの方に依頼した原字を書体として製品化するときに大変なことでした」
「なぜ」を伝えることも大事だった。
「なぜそのカーブにするのか、なぜその線幅は5mmにするのか。理屈を伝えながら、それを実際にやるとこういうカーブになる、と描いて見せることが大切でした。書体制作、デザインをするような人は、自我が強い人が多い。自分の主張をするためには、自我をもっていないとダメですから。でも、教える立場からいうと、そういう人たちを納得させなくちゃいけないというのは、大変な仕事でしたね」
橋本さんは笑う。
「書体をデザインするには、芸術的な感覚が必要です。それは個人でやったほうがいい。しかし、書体を制作するとなると、工業的になる。1文字に何日もかけるわけにはいかない。1日何文字とつくらないと、書体はつくれません。書体制作は、芸術的なところと工業的なところを融和させた仕事なのです。文字をつくるというのは、つくづく不思議な仕事だと思います」
モトヤで基本を習い、写研で発展させた
橋本さんが仕事として文字にたずさわったのは、金属活字時代のモトヤが最初だった。そして写研に移り、写植の原字をつくるようになった。
「活字の時代、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわったモトヤでは、デザイン性よりも読みやすさと製造しやすさが重視されていました。太佐源三さんから『書体はだれにとっても親しみやすいものにしなくてはいけない。親しみやすくするためには、個性がありすぎてはいけない。個性があったとしても、それは、知らないうちにあったというさりげない個性でなくてはダメだ。それはつまり、普段意識していないけれど身のまわりにあり、生きるために一番大事な空気のようなものということだ』と教わりました。4年半ほどの短い期間しか在籍していませんでしたが、それが、モトヤ時代にいただいた一番の宝です。それを今度は写研で実行できた」
「写研では写植という、活字とはまた違うメディアの原字を描き、書体を制作しました。今度は、個性豊かな、書体をファッション的に見せる書体が求められた。つまりぼくは、モトヤで基本を習い、それを写研で発展させるようなかたちで仕事ができたんですね。さらに、書体にはそれぞれの表情があり、厳しいとかやわらかいなど、さまざまなイメージがあるということは、書道で教わりました」
写研での監修の仕事を通じて、橋本さんは「物事を噛み砕いて人に説明する方法」を覚えたという。そしてその経験は、この後に続くデジタルフォントのデザインに、今度は活かされていくことになる。
(つづく)
話し手 プロフィール
橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。
著者 プロフィール
雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。
■本連載は隔週掲載です。次回は11月19日AM10時に掲載予定です。