明治時代にルーツをもつ書体

橋本和夫さんは、1959年(昭和34)6月から1995年(平成7)までの写研在職中、書体制作・監修以外にも「文字を書く」さまざまな仕事を行った。写研本社ビルと埼玉工場の看板の原字制作もそのひとつだ。

  • 橋本さんが原字を描いた、写研埼玉工場の看板(2019年3月撮影)

そして、ここで用いた「写研」ロゴをもとに、ナールとゴナのデザイナー・中村征宏氏に書体を制作してもらったという。

「『ファン蘭』という書体です。縦画が細くて横画が太く、丸ゴシックのように角が丸い。金属活字の時代からあった『ファンテール体』をアレンジした書体です」(橋本和夫さん)

ファンテール体は、明朝体やゴシック体とならび、明治時代の金属活字書体として見本帳にも掲載されている装飾書体だ。ファンテールとは「Fantail」のこと。扇形の尾、扇形の尾をした鳥を指すことばだ。(*1)

  • 東京築地活版製造所『活版見本』1903年(明治36)11月の「初号装飾書体見本」より

『印刷事典』にはこう書かれている。

〈和文装飾活字の一書体。ゴシック体に似ているが、明朝体とは反対に、縦線が細く横線が太い。年賀状あるいは広告など以外にはあまり用いない。明治中期に東京築地活版製造所が設計販売した活字書体。1937年に写真植字の書体となった。活字としては市販されていない。〉(*2)

石井書体からファン蘭へ

先の引用にもあるように、写研では1937年(昭和12)という初期の時代に、明朝体、ゴシック体、楷書体、アンチック体などに次いで、石井茂吉氏により「石井ファンテール」が制作されている。東京築地活版製造所のファンテール体に比べ、横画が細めで、石井書体特有の優雅さを感じさせる、上品な表情の書体だ。

  • 石井ファンテール(1937年)

それから40数年のときを経て、写研が中村征宏氏に依頼したファンテール体「ファン蘭B」は、大人気書体ゴナの骨格を思わせる、字面いっぱいにデザインされた明るい表情の書体で、横画も「石井ファンテール」に比べ太くなった。東京築地活版製造所が明治時代につくった「ファンテール」には、「ファン蘭」のほうがむしろ近い印象だ。「ファン蘭B」が発売されたのは1981年(昭和56)のこと。東京築地活版製造所のファンテールから約80年を経てのことだった。

  • ファン蘭B(1981年)

写研創業者・石井茂吉氏の「石井ファンテール」に対し、二代目・石井裕子社長時代につくられたファンテール体だったため「ファン蘭」と名づけられた。「本蘭明朝」のときにもふれたが、石井裕子社長は蘭が好きで、社長就任後の写研のオリジナル書体名には「蘭」の文字を入れることが多かった。

(つづく)

注)
*1:研究社『新英和中辞典』より
*2:日本印刷学会 編集『印刷事典』第5版(印刷朝陽会 発行/印刷学会出版部 販売) 2002年

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。次回は7月30日(火)AM10時に掲載予定です。