タイプフェイスデザイナーの発掘

1970年代。 時代は、さまざまなデザインの新書体を求めていた。

「デザイナーが書体をデザインをする」という、いまでは当たり前となった概念を、みずからの新しいデザインとともに打ち出したタイポスの登場は、そんな流れを一気に後押しした。

そうした流れと並行してスタートしたのが、写研による「石井賞創作タイプフェイスコンテスト」だ。

第1回の授賞式は1970年(昭和45)5月18日、大日本インキビルの18階会場で行われた。コンテストのねらいについて、写研は〈このコンテストは、石井茂吉の遺志を生かし、新しい文字の創作を願って企画されたもので埋もれたタイプフェイスデザイナーを発掘し、若い人たちの文字への関心を高め、タイプフェイスデザインの発表の場を与える〉ものだと記している。(*1)

応募要項は前年に発表され、締切の1970年1月末日までに118点の応募があった。第1回審査は、原弘氏を委員長に、田中一光氏、細谷巖氏、小池光三氏、小柏又三郎氏、写研社長の石井裕子氏を委員として行われた。

課題の文字をどう選ぶか

応募要項づくりの中心になったのが橋本さんだった。

「石井賞創作タイプフェイスコンテストの募集を開始したのが、1969年(昭和44)頃だったと思います。この準備がとても大変でした。どんな文字を課題にするのか、どんなフォームで募集するのかが悩みの種でした。(書体に必要な文字を)2000字書いて応募してください、というわけにもいかないですから」

検討の末、入賞作品が決まった後に展示会が行えるよう、応募作品はパネル1枚にまとめてもらうことにした。1枚のなかに、ひらがな、カタカナ各48字と記号、そして漢字をおさめなくてはならない。そう考えると、応募作品に掲載できる漢字は50字ほどだった。その文字によって書体の出来を判断するのだから、適当に選ぶわけにはいかない。

「写研の写植機で用いる文字盤には、印字する文字を効率よく拾えるよう、『一寸ノ巾』と呼ばれる独自の配列方法を用いています。ふつう漢和辞典では部首別とか音訓別で漢字が並べられていますが、『一寸ノ巾』配列は、部首や画数、音訓で並べるのではなく、形状で漢字を探し出せるよう工夫された配列でした」

「一寸の巾」の基本の見出しは、次のように並べられている。この51種類の基本見出しによって漢字を分類しているのが「一寸ノ巾」基本配列だ。次のように、語呂合わせで覚えられるようになっている。

「この基本見出しの数が51なので、それをある程度網羅できるように考えながら、漢字50字を選びだしたんです」

こうして、漢字・ひらがな・カタカナ・数字・記号をあわせて176字がコンテストの課題となった(第3回からは、応募部門を従来どおりの内容の和文部門、欧文部門、約物・記号部門の3つに分けた)。その内容は、次のとおりだ。

  • 石井賞・創作タイプフェイスコンテスト課題。第2回応募要項より

1970年に発表された、記念すべき第1回目の第1位に輝いたのは、名古屋の中村征宏氏による「細丸ゴシック」だった。この書体は、のちに写研から「ナール」として文字盤が発売され、一世を風靡した。

  • 第1回石井賞創作タイプフェイスコンテストで1位になった中村征宏氏の「細丸ゴシック(のちのナール)」『写研19』(写真植字研究所「写研」編集室、1970年5月)

第2回コンテストの応募要項には、〈第一回の応募作品を概括してみると、ボディタイプ(本文用文字)が圧倒的に多く、ディスプレイタイプ(出版物や広告の見出し用文字)は少なかったようです。ボディタイプだけでなく、ディスプレイタイプの作品がもっと出されることが各界より望まれています〉と書かれている。(*2)

「これ以降、石井賞創作タイプフェイスコンテストから、多彩なデザインの書体が生まれ、発売されました。それはもう画期的な書体の数々でしたから、写研は『よい書体を数多くつくっている会社』と強く印象づけられていきました。書体のデザイン化が加速し、写研は2年に一度、写研フェアという展示会を開いて、次々と『新書体』を発表するようになっていったのです」 (つづく)

(注) *1:『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』(写研、1975)P.125

*2:「第2回石井賞創作タイプフェイスコンテスト」応募要項『写研22』(写真植字研究所「写研」編集室、1971年4月)P.22

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。