佐渡酒造……と聞いて思い浮かぶのは?

佐渡という名を生まれて初めて耳にしたのは、おそらくテレビで見た佐渡おけさか、あるいは佐渡酒造だった。佐渡酒造? お酒の会社? 知らない人はそう思うだろう。けれどこれは、『宇宙戦艦ヤマト』の登場人物である。読み方は「さど・さけぞう」。あの作品に親しんだ人なら、誰もがピンとくるに違いない。いつも酔っ払っている、ヤマト艦内常駐の医者、あれが佐渡酒造だ。

ヤマトのアニメが放映されていたのは1970年代。当時はともかくいまになって思えば、あれはやっぱり酒の島である佐渡のイメージが生んだキャラクターだったのではないかと思う。まあ、本当のところは知らないけれど。

そう、佐渡は酒の島なのである。エールフランスの機内酒として採用される「真野鶴」が有名な尾畑酒造や、海外の著名人にも高く評価される「北雪」の北雪酒造をはじめ、島内には多くの酒蔵がある。というのも佐渡は、島であるにもかかわらず米どころで、もちろん水もいい。現在でこそ蔵の数も減ったが、ピーク時には200以上の蔵があったという。

酒どころ・佐渡の象徴のひとつといえる酒蔵、尾畑酒造。「真野鶴」のブランドで知られる。純米酒では日本でもっとも辛口の酒で、大吟醸はエールフランスの国際線でも採用されている

前回書いたように、クルマで両津港を出たあと東側から北海岸を巡って西へ抜け、さらに南下して夕刻、赤泊に到着した。初日の宿は赤泊の港に近い「二階屋旅館」だ。

佐渡と新潟県本土を結ぶ3つの定期航路のうち、もっとも距離が短いのがこの赤泊と寺泊の間である。ただしもっとも多く利用されているのは両津港であって、島の中心地でもあるその両津から見れば赤泊は交通的にかなり便の悪い地にある。それだけに、赤泊までやってくる観光客はそれほど多くはない。

二階屋は、その赤泊港近くでも由緒の古い老舗。かつては廻船問屋を営み、その歴史は400年前にまでさかのぼるという。平屋しか許されていなかった時代、ここは二階建てを認められた。それが屋号の由来となった。

この宿はまた、夕飯がスゴイ。新鮮な魚介類が、これでもかというほどに出てくるのだ。魚の供にはもちろん地元・赤泊の地酒「北雪」を。料理のほうは刺身から煮付け、焼き物、天ぷら、さらには甲羅メシを食える豪勢な紅ズワイガニまで、予想をはるかに超える盛りだくさんぶり。酒をゆっくりとなめつつ2時間かけてがんばったけれど、それでも完食はできなかった。

赤泊の老舗旅館「二階屋」は、地物の魚が自慢。目の前の海で取れたものばかりだから質は最高、量も物凄い。写真の刺身はカマスとアジがまるまる1匹に、イカ。さらに煮魚、焼き魚、天ぷら、カニ、おけさ柿……などなど。写真以外にも茶碗蒸しなど数品出てきて、1人前。酒は赤泊の地酒、北雪をちびりと

宿のご主人いわく、「せっかくこんな不便なところまできてくださるのだから、料理くらいたっぷり振る舞わせていただかないと」。いえいえ、たっぷりをはるかに上回る充実ぶりは、もはや驚愕です。この日出された刺身はアジ一匹とカマス一匹と佐渡自慢のイカ。カマスの刺身はちょっと珍しいか。「これ、そこの港のすぐそばで跳ねてたんですよ」。もちろんご主人が自分で取ってきたものだ。

佐渡は柿の名産地。名物・おけさ柿のブランドも知られるところだ。訪問した11月は干し柿づくりの最盛期で、軒先に柿を吊るしている家をやたらと見かけた

こちらも佐渡の名物・たらい舟。左は赤泊に近い小木港で撮影した観光向けのたらい舟で、右は本物の漁師さん。いまでもたらい舟漁は行われているわけだ

佐渡には昔の町並みが残るところが多い。中でも江戸時代に廻船業で栄えた南部の宿根木は町並み保存地区となっており、狭い路地の脇にほっとできる家々が続く

佐渡金山と歴史文化の物語

佐渡といえば、佐渡金山の存在はあまりにも有名だろう。西の石見銀山(島根県)が日本初の産業遺産として2007年に世界遺産登録されたが、ここ佐渡も金山を軸として世界遺産登録活動を推進中だ。昨年には世界遺産登録申請の準備段階となる日本政府の暫定リストに記載された。佐渡金山の史跡は観光コースとして整備され、江戸時代の「宗太夫坑」や明治時代に開削された「道遊坑」などをじっくり見学して回ることができる。

世界遺産登録推進に際して柱となるのは、やはり佐渡金山。左の写真は大鉱脈の露頭掘り跡で、佐渡金山のシンボルといえる「道遊の割戸」。右は江戸時代の「宗太夫坑」内部に展示された、煙管や箸を持つ手が動く電動の人形だ

左は復元された佐渡奉行所跡、右は北沢浮遊選鉱場跡。ともに佐渡金山の関連史跡として国史跡に登録されており、世界遺産登録推進に際しての対象物件にも含まれている

そして、そう、佐渡といえばこれも忘れてはならない。トキだ。2008年9月25日に試験放鳥された人工繁殖の10羽のうち1羽が年末、加茂湖周辺で死んでいるのが発見されたというニュースが報じられたのは記憶に新しい。

トキはその学名「ニッポニア・ニッポン」から、佐渡だけでなく日本のシンボルとされることもある。しかし現在のところ、試験放鳥されたものを除けば、野生の状態でトキが生息しているのは悲しいかな海の向こう、中国・陝西省のみとなっている。

ちなみに本年、新潟県で開催される第64回国民体育大会は「トキめき新潟国体」と名づけられている(佐渡も一部競技で会場になる)。新潟港には朱鷺メッセが建っているし、新潟競馬場には朱鷺ステークスというレースもある。やはり新潟、とりわけ佐渡とトキは、切っても切れない関係にあるのだろう。

トキの森公園内のトキ資料展示館では、ケージの中ではあるが"ニッポニア・ニッポン"こと佐渡のシンボル、トキの姿を観察できる

産業遺産や海山の自然、そしてそこに息づく生き物だけでなく、文化の面でも佐渡は特殊性をはらんでいる。都から多くの人物が流されてきた歴史に加えて、日本海を行き来する北前船もさまざまな交流をもたらし、古くから佐渡は京都の文化の影響を受けてきた。能、浄瑠璃をはじめとした伝統芸能や人形工芸も発達している。それもそのはず、ここは世阿弥こと観世元清も配流されてきた地。道の駅「芸能とトキの里」でハイテク人形ロボットによる薪能が演じられ、その向かいには昭和天皇が佐渡訪問の際に能を観賞した能舞台跡が残っている。

真野の町の郊外に建つ「佐渡歴史伝説館」では、佐渡に流された順徳上皇や日蓮、世阿弥らの精緻な人形ロボットが織り成すちょっと微妙な歴史物語のページェントを楽しむことができる。しかし同館は、こういう言い方をしてはなんだけれども、その展示物より最近ではむしろ別の部分で注目を浴びている。そう、佐渡出身の北朝鮮拉致被害者・曽我ひとみさんのご主人ジェンキンスさんが、ここの土産物コーナーで働いていらっしゃるのだ。テレビその他メディアによく登場しているので、ご存じの方も多いことだろう。

佐渡歴史伝説館は、動くハイテク人形ロボットを用いて佐渡の歴史を紹介する一風変わったミュージアム。写真は日蓮が佐渡に流される直前の有名な法難のシーンである。金山といい、道の駅の薪能といい、佐渡には人形ロボットがやたらとある。これも人形工芸の伝統がなせるものか?

ジェンキンスさんは毎日欠かさず常駐しているというわけではないようだが、僕が訪問した日にはいらした。拉致問題解決に向けたメッセージ入りのシールを自ら貼った「太鼓番」というお菓子を販売しては、数多くの旅行客との記念撮影に収まっていた。この日は少々お疲れのように見受けられた。まもなく69歳の誕生日を迎えるのだから、おからだに気をつけていただければ、と思う。

2日目の晩は真野の町に宿泊。そんなこんなで3日間、広い佐渡中をレンタカーで走り抜け、帰路は両津からジェットフォイルで新潟に戻った。あれから2カ月ほどが経ち、年が明けて佐渡は真冬。大陸との国境の海に面した北海岸は、いまごろさぞ厳しかろう。

砂金とり体験が楽しめる佐渡西三川ゴールドパーク前の店「特産品販売組合婦人部」でいただいた、佐渡名産の「いごねり」と「ながも」。いごねりは海藻からつくった寒天のような食べ物。ながもは箸でつまむとぬるぬるとジュンサイのような感覚で、汁物の具として用いたり、酢の物や醤油で食べたりする

佐渡は島でありながら、広大な田園風景や、山間の風情を漂わせる田畑など、島離れした景観がそこかしこに見られるのも魅力。加茂湖の畔にたたずむと高原の只中にいるようで、ここが島であるとはにわかに信じられない

2008年9月いっぱいで新潟空港との定期空路が廃止された佐渡空港。現在はチャーター便のみが利用する。「羽田まで55分」の幟がなんともむなしくはためいていた

次回は久米島編、沖縄と中国の間に浮かぶ島、をお送りします。