始まりはシンプル - 日本の端っこを巡ろうと思った
日本の端と一言でいっても、単なる東西南北端以外に、いろんな端がある。東西南北端が端ならば、北東端や南西端だってあるだろう。いやそもそも、日本という国は四方が海に囲まれているから、端と呼べそうなところは無数にある。「その向こうに日本がない」ところは、すべて地理的に日本の端としての資格を持っていると言っていいと思う。
地理的な端はもちろんのこと、歴史的文化的に見た端というのもある。そんな難しい話ばかりでなく、もっと強引なこじつけから端っこと呼べる場所だってある。考え方ひとつで、そこらじゅうが端と呼べる場所になってしまうわけだ。
そういった日本の数々の土地土地を、これから毎月いろいろ訪れていこう……というテーマが本連載の趣旨。日本の端を訪れたいというのは筆者の個人的な欲望によるところが大きい。これはいまになって始まったものではなくて、学生時代、年齢を明かしてしまうことになるけれど、20年ほど前から、旅に出るとその先その先へと分け入り、ついつい先端まで行ってしまうクセがあった。こうした、いわゆる"端っこ症候群"にかかっている人は、きっと多いのではなかろうか。
すでに何度も訪れている端もあれば、未踏の端も当然たくさんある。ひとまずその第1弾としてチョイスしたのが、日本の最西端・与那国島。今回と次回の3回に分けて、2007年10月に訪れた沖縄県与那国島の"端レポ"を綴っていくことにする。
与那国空港のターミナル前に立っている「歓迎」の看板。ささいなことかもしれないけれど、こういう看板を目にするだけでも「ああ、日本の端っこにやってきたんだな」って感動してしまう。自分は案外素直な人間だと思う |
東京よりもマニラが近い与那国島
与那国島は、日本という国家の国土において文字どおり最西端となる島である。北方領土を含む国土のうち、一般の人間が一般の交通機関で訪れることができる東西南北端は、実はこの与那国島だけだ。面積は28.88平方kmで、東西に細長い形をしている。さほど大きくはないし、かといってけっして小さくもない。この与那国島、これまで沖縄県を30回以上訪れている筆者にとっても、なぜか縁遠く、いまだ踏んだことのない土地だった。
ここから西、台湾まではわずかに111km。一方、東を向けば同じ沖縄県の石垣島が台湾よりやや遠い約120kmで、沖縄本島に至っては500km以上もある。つまり距離的には、那覇よりも台湾のほうが圧倒的に近い。東京など2,000kmをゆうに超えた海の彼方だ。ちなみに香港までは約950km、マニラしても1,100km程度である。
台湾がこれほどに近いから、西の海の向こうには台湾の山並みが見えることもある。ただしその頻度には要注意。与那国というとまるでいつでも台湾が見えるように紹介されていることが多いけれど、実際にはめったに見えない。年に3回、4回、5回……といった程度が現実のようだ。
与那国島へのアクセスルートは、主に3つ。飛行機で那覇あるいは石垣から飛ぶか、石垣からのフェリー利用である。今回は那覇からダイレクトで飛んだ。離陸しておよそ1時間半、2,000mの堂々たる滑走路を持つ与那国空港に39人乗りの琉球エアコミューター機が着陸したのは、10月某日15時40分頃。定刻より20分遅れての到着となった。
与那国で予定した日程は3泊4日。1泊目は町役場がある島北部の祖納(そない)で、2泊目3泊目は西の端、すなわち日本でもっとも西の集落・久部良(くぶら)に宿を取った。
与那国というと、日本最西端というイメージのほかに、謎の海底遺跡がある島としてもダイバーや観光客に人気が高い。最近ではフジテレビのドラマ『Dr.コトー診療所』のロケ地となったから、その関連で訪れる人も多いという。日本在来種の与那国馬にまたがれる牧場も人気スポットだ。
筆者は残念ながら(?)『Dr.コトー診療所』はまったく見たことがないので、この島がロケ地と言われてもそれについてはあまり感動はなかったのだけれど、ドラマセット「志木那島診療所」の辺りにはやはり観光客の姿が見られた。テレビの影響は世界の中心だろうが日本の端っこだろうがすごい。
ドラマを見ていた人にはおなじみ(だと思う)のセット。島の南海岸、比川集落にある。海辺のすばらしいロケーションで、ドラマは見ていなかった筆者でもここに住みたいと思ってしまった。ただ、台風のときは海にむき出しなのでタイヘンそう |
まずは海底遺跡から
自然の造形か人工物かでいまだ論争が続いている、通称「海底遺跡」。初日に泊まった祖納の「民宿おもろ」で同宿の方々とゆんたくで盛り上がり、2日目の朝はみんなで見物に行くこととなった。ゆんたくっていうのは……まあ沖縄好きの人には改めて説明するまでもないだろうが、要は仲良くおしゃべりすること。往々にして、泡盛を飲みながら(笑)。与那国名物の泡盛については、また次回に。
海底遺跡はダイビングで潜らないと見られないわけではなくて、半潜水艇やグラスボートといった観光船からも眺めることができる。今回は「ジャックドルフィン」という半潜水艇を利用した。出発は日本最西端の集落・久部良にある日本最西端の港からだ。
日本最西端の地・西崎(いりざき)を間近に望み、日本最西端の(しつこいか)郵便局もすぐそばにある久部良港を出たジャックドルフィン号は、西崎のさらに西側の海を通り、島の南岸へ回っていく。
初日は夕刻に島へ着き、祖納の集落を散歩した程度ですぐに夕食となったから、この時点ではまだ西崎に上っていない。にもかかわらずもっと西側から日本の西の端を眺めてしまうというのは、なかなか微妙な気分だった。
海底遺跡については、これは実際に見ていただかないと何とも言えない。 筆者的には、まあこんなものかなという感じ。自然か人工かと問われると、自然のものかなという印象が強かった。自分の身ひとつで潜り、触れるほどのところから見れば、また違った感想があるのかもしれないけれど。どちらにしても、一度見ておいて損はないと思う。
久部良の港に戻り、さて台湾
一年に数回しか見えないとはいえ、やっぱり与那国にきたら台湾を見てみたい。確率はえらく低いがチャレンジしなければ始まらないのは宝くじと同じこと。自転車を借り、最西端・西崎を目指した。
久部良港から西崎の岬に通じる坂を、ギアが壊れたママチャリでエッチラオッチラ上っていく。やがて駐車場に出て、そこからちょっと上ったところが西崎の灯台。そばには「日本国最西端之地」の碑が建っている。
西の海を見ると……空はけっこう晴れているのに、やはりというか台湾は見えない。まあそうそう甘いものじゃないだろうと、とりあえず最初は簡単にあきらめて岬を下りた。
西崎のさらに西で海から突き出た岩礁。北側から見ているので、左手が西崎、右が台湾という位置関係になる。日本国の国土という意味では、実はここが本当の最西端? まあ、岩は島ではないので領土と呼べないという説もあるけれど |
夕刻、西崎を再訪
18時近く、ふたたび西崎へ。 日本で最後に沈む夕日を見ようと、西崎の上には20人ほどの人々が集まり、息を呑みながら西の空を見つめている。
この日の夕日は、残念ながら下の写真のような具合。水平線近くまで雲がかかり、まるまるとした太陽が沈むところは拝むことができなかった。どのみちあの方角には台湾があるので、水平線に沈むということはないのかもしれないけれど。また明日、再チャレンジしよう。
次回の与那国島中編では、沖縄好きにもあこがれの「花酒」「ヤシガニ」をお届けします。