(大吾武志が「近代設備商会(KSS)」に入社して20年が経った)

大吾は久保社長のもとで長い期間、平社員から幹部社員になるまで順調に実力をつけていった。入社して丁度20年を迎えた時、多くの経営幹部の中から専務取締役の就任を久保社長から直々に命じられたのだ。大吾は少々の迷いを感じたものの、久保社長の負託に応える気概でその要職を受けた。

KSSでは毎月、月初に社内定期役員会を開催している。その役員会で経営における重要案件を審議し、一定の方針を決定しているのだが、議題によっては久保社長の独壇場になっていた。

大吾が専務となってからの役員会は、さまざまな意見が飛び交うようになった。そんなある日の役員会でのこと、久保社長は会社が30周年となるのを機に、事業の改革を推し進めたいと言い出した。

「本日の議題は当社のこれからの事業展開についてだ。ここにいる役員と経営幹部諸君には今後の事業展開について忌憚のない意見を出して欲しい」。

唐突に問題提起をした議長の久保社長は、しばし沈黙の続いた空気を変えようと、いきなり大吾に口火を切らせた。

「意見がなかなか出ないようなので、大吾専務あたりから何でもいいので発言してもらえないか?」

大吾は一瞬、戸惑い、言葉を詰まらせながらこう発言した。

「生意気なことを申し上げるかもしれませんが、当社が現在、展開している各種事業は本来の企業戦略として考えた場合、整合性が取れていません。それぞれがバラバラに採算を追求して動いています。そこには組織としてのスケールメリットも、事業としてのシナジー効果もほとんど生み出せていません」

この大胆な意見には、そこにいた役員や幹部全員が多少の驚きとともに、納得した顔つきを示してうなずいてた。薄々感じていた同社の問題点を、見事に突いた発言だったからである。

議長の久保社長は、全く表情を変えなかった。そして、さらに大吾に質問を投げかけた。

「では、どうすればいいのかな? 大吾専務のいう、その"整合性"を取るには?」

「それは…。急な質問でしたので、ちゃんと答えを用意しておりませんでした。申し訳ございません」。大吾はこう答えるしかなかった。

だが久保社長は、柔和な笑みを浮かべながら「そうだな~、答えが見つからなくて当然だ。答えられるようだったら、大吾専務のことだから既にこの役員会で問題提起をしていただろう」と、大吾の発言をフォローした。

「では、平尾副社長はどう考えるかね」と今度は、実質ナンバーツーの平尾氏に質問を向けた。平尾副社長は即座に「そうですね、会社の歴史も30年になるわけで、そろそろ、事業の再編成を行ってもよいかも知れません」と明確な回答を避けた。

「わかった。今後、事業改革に対してどのように取り組んでいけばよいか検討することにしよう」と久保社長はこの場の議論をまとめた。

この役員会での大吾の発言には効果があった。実際、翌月には「事業強化対策委員会」が発足した。これは、KSSという会社が従来から手掛けてきた事業の整合性を市場性や顧客ニーズに照らし合わせて再検討し、同時に新たな事業開発をも目的とするものであった。

この委員会の委員長には次期社長と目されるナンバーツーの平尾副社長が就任した。

この就任には久保社長の意図があった。その意図とは、次期社長を次世代の事業に主体的に関わらせることによって、一層の自覚と責任感を持たせることだった。事業の方向性というものは、会社が未来に向けて成長し続けることができるかどうかを決定づける重要性がある。その方向性に対して真剣に取り組ませることが、平尾氏を委員長に指名した狙いというわけである。同時に、大吾に対しては、平尾副社長の万が一暴走した時のストッパー役を期待して、この委員会のメンバーとしたのだった。

(イラスト : ミサイ彩生)

<著者プロフィール>

渡辺孝雄(わたなべたかお)

拓殖大学 商学部 経営学科卒。開発メーカー・一部上場のベンチャー企業を経て、経済、経営の出版社で記者、及び営業を経験。その後、29歳で創業。今日まで3社を起業した(3社をラポールグループと呼んでいる)。創業時、一人で始めた会社が、従業員約70人に、年商もスタート時2,000万円だったものが現在ではソフト業ながら10数億円に成長した。地域No.1企業を目指し、事業の独自性を最大の武器に常にイノベーションを繰り返す。人材づくり、組織づくりは自前の理論をもとに何度も実証を重ね、独自のノウハウを構築してきた。その成功体験と失敗体験を経営の実践ノウハウにしコンサルタント業として現在活躍中。