『アントレプレナー物語』を書くことにしました。その理由は、今日の長引く不況下にあっては、今こそ"起業家精神"を発揮する時ではないかと考えたからです。それは、日本の経済復興のためにもなると思っております。そして、多くの人々にとっての価値ある仕事づくりは、どの時代においても"起業家"、つまり、アントレプレナーが登場し革新的なニュービジネスを誕生させてきたからではないでしょうか。そこで、筆者が強く関係している住宅業界を例にとり、そこでの起業と事業展開におけるプロセスについて、できるだけ多くの"経営戦略"や"マーケティング理論"を盛り込みながら解説することとします。小説風に…。
大吾は大学を出て初めて勤めた会社を退職してしまった。理由は単純だった。上司が嫌いだったからである。「あまりにも理不尽な扱いを受けていた」と本人は思っていて、若さもあったため、あっさりと辞めてしまったのだ。それもあと先を考えずに…。
大吾は大学を出て初めて勤めた会社を退職してしまった。理由は単純だった。上司が嫌いだったからである。「あまりにも理不尽な扱いを受けていた」と本人は思っていて、若さもあったため、あっさりと辞めてしまったのだ。それもあと先を考えずに…。
そう長くは"プータロー"をしているわけもいかず、大学の先輩の勧めもあって、ある会社を応募してみることにした。その会社とは、東北の宮城県にある「近代設備商会」(略してKSS/仮称)というところ。地元では幅広い業種を手掛けている中堅企業だ。
その企業の経理部門に応募したのである。即、創業社長の久保氏との面談となった。久保社長は大吾の真剣な眼差しを感じとりすぐに気に入った。そのためか久保社長は面談のはずが途中から会社に対する熱い想いを長々と語ったのである。
そのような一方的な力説が続いた面談の最後に、久保社長は大吾にこう諭したのだ。
「君は青い鳥の話を知っているかい? 会社に不満があると感じ、もっといい会社があるはず、他の会社ならきっと自分の能力を活かせる仕事があるはずと、理想の会社を求めて転職を繰り返す人がいるね。これを"青い鳥症候群"と呼んでいるが、結局のところ理想とする会社などなく、気がついたら元の会社にこそ自分を生かす仕事があったという話だ。つまり、今いる職場を大事にせよ! そこにこそ君のすべき仕事がある、という意味である。今度の職場がその場所だ。是非、当社に骨を埋める覚悟で飛び込んできてくれ! そして、いつの日か会社を背負っていける幹部になってほしい…」
大吾は久保社長の説得に圧倒されるとともに、その場で自分を認めてくれた久保社長に感動を覚え、「是非、お願いします。死に物狂いで頑張りますので」と返答した。内心、「俺みたいな男をよくぞ拾ってくれた」と感謝していた。
入社後、約束通り死に物狂いに働いた。それこそ、朝は誰よりも早く出勤し、夜は誰よりも遅く退社した。そんな大吾を久保社長は徐々に溺愛するようになった。一経理担当者として入社をした大吾は久保社長に毎日、小言を言われながら着実に幹部としての実力を備えていったのだ。同時に肩書も飛び級的に高くなっていった。
(イラスト : ミサイ彩生)
<著者プロフィール>
渡辺孝雄(わたなべたかお)
拓殖大学 商学部 経営学科卒。開発メーカー・一部上場のベンチャー企業を経て、経済、経営の出版社で記者、及び営業を経験。その後、29歳で創業。今日まで3社を起業した(3社をラポールグループと呼んでいる)。創業時、一人で始めた会社が、従業員約70人に、年商もスタート時2,000万円だったものが現在ではソフト業ながら10数億円に成長した。地域No.1企業を目指し、事業の独自性を最大の武器に常にイノベーションを繰り返す。人材づくり、組織づくりは自前の理論をもとに何度も実証を重ね、独自のノウハウを構築してきた。その成功体験と失敗体験を経営の実践ノウハウにしコンサルタント業として現在活躍中。