英国のEU離脱、いわゆるBrexitショックから約2カ月半。最近は英国についての報道がめっきり減りましたが、経済的な影響は出ているのでしょうか。8月下旬~9月初めに英国を訪問し、その後の実情を取材してきました。
街は明るく元気な雰囲気
国民投票でEU離脱が決まった直後は株価とポンドが急落し、その影響が世界中に広がりましたが、今は落ち着きを取り戻しているようでした。
ロンドンでは主な繁華街をいくつか回ってタウンウォッチングをしましたが、東京でいえば銀座に当たるようなピカデリーサーカスは一日を通して多くの人であふれていました。特に夕方になると、勤め帰りの人や若者、カップル等が買い物を楽しんだり、交差点付近にたむろして談笑したりしていました。レストランやパブはどこも混み合い、夜遅くまでにぎやかでした。
東京の繁華街も人がいっぱいですから、人出の多さ自体には別に驚きませんが、それでも予想以上の賑わいでした。ロンドンの夏は日没が遅いため午後8時を過ぎてもまだ明るく、しかも適度に涼しくて過ごしやすいので通りの人出も多く、明るく元気な雰囲気さえ感じました。「Brexitショック」など一瞬忘れそうになるような光景でした。
今回はロンドン以外に、北イングランドのいくつかの中小都市、スコットランドのグラスゴー、北アイルランドのベルファストなども訪れました。先の国民投票ではロンドンやスコットランド、北アイルランドは残留派が多数、北イングランドは離脱派が多数でしたが、いずれの町でも買い物客や観光客が街にあふれる光景を目にしました。その点では、残留派も離脱派も消費行動にそれほど大きな差は出ていないようです。
消費の落ち込みは回復
実際、主要都市の賑わいぶりは消費関連のデータにも表れています。英国家統計局が毎月発表する小売売上高指数をみると、国民投票のあった6月は前月比0.9%減と急低下しましたが、7月には同1.4%増と盛り返しています。Brexitショックによる消費の落ち込みは短期間で回復したことを示しています。しかも前月比で落ち込んだ6月でも前年同月比でみれば4.3%増でした。つまり水準としては堅調だったわけです。そして7月の前年同月比は5.9%増でしたから、消費が活発なことを裏付けています。
消費だけではありません。ちょうど英国滞在中に、8月の製造業購買担当者景気指数(PMI)というデータが発表されました。このPMIは英国の金融情報会社マークイット社が発表しているもので、企業の購買担当者に新規受注や生産、出荷などの状況についてアンケート調査した結果を指数化しています。企業の購買担当者は需要動向や売り上げ、生産の状況などをもとに見通しを立てて、それに応じて部品や原材料の仕入れを行う立場にありますので、彼らの景況感は景気の動きを敏感に反映するのです。
それによると、国民投票後の7月は3年5カ月ぶりの低水準に落ち込んでいましたが、8月は前月比5ポイント上昇の53.3ポイントとなり、10カ月ぶりの高水準となりました。前月からの改善幅は、過去25年の調査で最大だそうです。
英国の景気が底堅い3つの理由とは?
このように英国の景気が個人消費と企業部門の両方とも予想以上の底堅さを見せているのが印象的でした。これには、主に3つの理由が考えられます。
第1は国民投票直後のショックが一応収まり、株価下落・ポンド安が止まったことです。英国の代表的な株価指数であるFTSE100は国民投票前の6,338ポイントから直後には5,982ポイントまで急落しましたが(下落率5.6%)、すぐに投票前の水準を回復しました。8月15日には6,858ポイントまで上昇し、その以後も6,700~6,800ポイント台の高値圏で推移しています。このように株価は意外なほど堅調で、これが当面の安心感を生み出す一因となっているのです。これには、英国の中央銀行であるイングランド銀行が、景気悪化に備えて量的緩和策を8月上旬に再開したことも支援材料となっています。
国民投票後に急落した英国の株価(FTSE100)はすぐに元の水準に回復し、高値圏で推移している |
第2は、以前から英国の消費が堅調だったため、その勢いが続いているとみられることです。それは前述の小売売上高指数の前年同月比の伸びを見てもわかります。確かにEU離脱決定直後は一時的に消費が落ち込みましたが、実際にEU離脱に向けた動きは進んでいませんし、その影響が出てくるのはもう少し先のことでしょう。したがって多くの英国民は先行きを気にしながらも、当面は従来と変わらない消費行動を続けていると見ることができます。
第3は観光客の増加です。夏場はもともと観光客が増えるシーズンですが、特に今年はEU離脱決定の影響でポンドが安くなったため海外からの観光客増加が目立つそうです。
ポンドは国民投票前の1ポンド=1.47ドル台後半から、直後には1.29ドル前後まで急落し、その後も1.3ドル台で推移しています。これは、国民投票前と比べて10%程度のポンド安となっており、海外からの観光客はその分、安く英国旅行ができるようになったわけです。私も昨年12月に英国を訪れたのですが、その頃の為替相場は1ポンド=180円台、今回は130円台ですから、かなり割安で済みました。
英ポンド(対ドル)は急落後、安値圏で推移している |
現地のあるエコノミストは「日本では外国人観光客の増加で『爆買い』が話題になったが、こちらは英国版・爆買いです」と笑っていました。確かに英国のどこへ行っても観光客の姿が目につきました。これが英国の消費をカサ上げしていることは確かなようです。
ポンド安はBrexitのマイナスの影響なのですが、短期的にはこうした思わぬメリットを生んでいると言えます。前述のPMI大幅上昇も輸出の好調が一因となっており、ここにもポンド安のメリットが表れています。
問題はこれから
このように予想以上に明るかった英国ですが、問題はこれからです。今は一時の猶予期間を与えられていると考えたほうがいいでしょう。メイ首相は「EUへの離脱通告と交渉開始は来年になってから」と表明していますので、それまでは現在と似たようなムードが続く可能性が高そうです。しかし実際に交渉が始まれば、英国が狙う「関税は従来と同じゼロ、移民は制限」という"いいとこどり"は思惑通りに進まない公算が大きく、交渉が難航すれば株価下落やポンド安が再燃するかもしれません。また交渉の過程で、実際の経済への影響度合いが見えてくれば、消費や企業活動にブレーキがかかることも考えられます。
実は、金融の拠点、シティーでは株価の堅調な動きに安ど感が出ている一方で、リストラを心配する声が聞かれました。たまたま国民投票の前からすでに一部の金融機関ではリストラが行われていましたが、今後のEU離脱交渉の成り行きによってはさらにリストラが広がるのではないかというものです。シティーに拠点を置く英国内外の金融機関は欧州全体の拠点としての機能も持っているため、かなりの人員や機能を大陸のEU側に移すことを検討していると見られており、今後はこうした動きが具体化する可能性もあります。
一方、ロンドンなどの地価が下がっているため、お買い得な物件も増えているそうで、その中で中国や香港資本の進出が目立っているとの話をあちこちで耳にしました。中には、日本風に言えば億ション級の高級マンションを1棟丸ごと買い取るケースも続出しているとか。確かに街を歩いていて、中国資本によるホテル建設の現場を見かけました。
こうした経済的な影響だけでなく、英国は国内に多くの政治的社会的な火種を抱えています。今回、英国の各地を回って、その一端も垣間見てきました。それについては次号で紹介します。
※写真はいずれも著者撮影
執筆者プロフィール : 岡田 晃(おかだ あきら)
1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。MXテレビ「東京マーケットワイド」に出演。