トルコで起きたクーデターは世界中をひやりとさせましたが、半日で鎮圧されて未遂に終わりました。選挙で選ばれた政権を軍隊の力で転覆させることはもちろんあってはならないことで、その試みが失敗したのは良い結果となりました。しかし手放しで喜べないという複雑な様相を呈しているのも事実です。クーデター鎮圧後、現政権トップ・エルドアン大統領は軍部や反対派への弾圧を強めているからです。トルコは中東と欧州にまたがる重要な位置にあるため、トルコの不安定化は中東情勢、欧州の政治と経済、ひいては世界情勢にも悪影響を与える恐れがあります。

トルコの概況

クーデターの背景

まず今回のクーデターの背景を考えてみましょう。直接的な動機などはまだ解明されていませんが、各種報道を総合すると2つの背景が考えられます。

1つは、エルドアン大統領がイスラム教色の強い政策をとってきたことに軍部の反発が強まっていたことです。トルコはもともとイスラムの政教一致だったオスマン帝国が崩壊して、1923年に共和国として建国された国で、そのような経過から政教分離を国是としてきました。建国の父と言われる初代大統領ムスタファ・ケマルは国家が宗教に支配されない世俗主義を掲げて西洋化を推し進め、軍はその守護者を自任してきたという歴史があります。国民も99%がイスラム教徒と言われていますが、そうした体制と政策を支持してきました。

ところが2003年に首相となったエルドアン氏はイスラム系政党・公正発展党(AKP)の創設者で、首相を経て2014年に大統領に就任したのですが、次第にイスラム色の強い政策をとるようになっていきました。このため、世俗主義の守護者を自任する軍部は反発を強めるようになっていたのです。

背景の2つ目は、そのエルドアン大統領の強権的な政治への反発です。直接的には同大統領が軍部の権限縮小や幹部更迭人事などを推し進めてきたことへの反発が強まっていました。また少数民族クルド人勢力への攻撃、政権に批判的なメディアや学者への弾圧も相次いでいたことも要因となったと見られます。

クーデターを起こしたグループが「現在の政権によって民主主義がむしばまれた」と声明を発表していたところに、そうした背景が表れています。政教分離・世俗主義の守護者を自任する軍部の一部が「民主主義を守るために」クーデターを起こしたという、やや異色の展開と言えます。それほどにエルドアン大統領が強権的だということでしょう。しかしだからと言ってクーデターが正当化されるものではありません。

経済発展に大きな実績を残すエルドアン大統領

一方、エルドアン大統領は、この間のトルコの発展には大きな実績を残しています。エルドアン氏が首相に就任して以後、政治の安定が経済発展につながり、高い成長率が続きました。2003年から2015年まででGDP(国内総生産)は約3倍となり、中東では最大の経済規模です。最近の伸び率はやや鈍っていますが、それでも4%程度の成長を持続しています。トルコへの外国企業の投資も活発化しており、欧州の自動車メーカーは現地資本との合弁の形で進出し、欧州向けの輸出を増やしています。

トルコのGDP成長率

こうしてトルコは一時期、新興国の代表格BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)に続く有力新興国の一つに数えられたほどです。エルドアン政権はこのような経済発展を背景に2005年にEUへの加盟を申請し交渉を始めています。英国の経済誌『エコノミスト』は7月23日付の記事で「AKPが政権を握った当初の数年間は、安定したイスラム民主主義国家の繁栄の模範だった。少数民族クルド人との和平を模索し、理にかなった改革を進めたおかげで経済成長が続いた」(日本経済新聞電子版の翻訳記事)と高く評価しています。

エルドアン大統領が強権的との批判はあっても国民から高い支持を得ているのは、このような経済発展を成し遂げたことが背景となっており、それがクーデターを失敗に追い込んだことにもつながったと言えます。

クーデター鎮圧後、4つの懸念

しかしそのエルドアン大統領はクーデターを鎮圧したのを機に、非常事態宣言を発し、一段と強権的姿勢を強めていることが懸念されます。報道によりますと、事件の真相解明と処罰を名目に多くの軍幹部や公務員、教員などを拘束、解任しており、その数は6万人以上に達したということです。これでは、"逆クーデター"です。

前述の『エコノミスト』の記事は「エルドアン氏は自身への異議を謀反とみなし、トルコの異文化共存政策に対してクーデターを起こしているようなものだ」(同上)と厳しく批判しています。

エルドアン大統領のこのようなやり方はかえって国内を不安定化させる恐れがあり、それは中東情勢の一段の混迷、さらに欧州情勢と世界情勢の不安定化につながる懸念があります。

具体的には4つの懸念です。第1は、過激派組織・イスラム国(IS)掃討への影響です。トルコ軍は総兵力71万人、NATO(北大西洋条約機構)加盟国の中では米国に次ぐ兵力で、IS掃討の最前線を担っています。しかし今回のクーデターとその後のエルドアン政権による弾圧で動揺や士気の低下が広がれば、IS掃討作戦にも影響が出かねません。そうなれば、中東の安定が遠のくことが懸念されます。

第2の懸念は米国や欧州各国との関係悪化の兆しです。冷戦時代、トルコは西側の対ソ戦略の最前線基地という大きな役割を果たしていました。そのために、いち早く1952年にNATOに加盟し欧米各国と同盟関係を結んできました。トルコ軍が米国に次ぐ兵力を持っているのも、そのような歴史的経過があったからです。そして現在はエルドアン政権の強権政治には懸念を強めながらも、IS掃討やシリア問題などで同政権と共同歩調をとってきたという経緯があります。欧米各国はクーデター直後にエルドアン政権支持の態度を打ち出したのはそうした関係があるからです。しかしその後のエルドアン政権の強権化には批判を強めています。

またエルドアン政権は「米国に亡命中のイスラム教指導者ギュレン師がクーデターの黒幕だ」と主張して、米国に同師の引き渡しを求めています。これに対し米国は慎重な姿勢です。確たる証拠は示されておらず、米国がそれに応じるとは考えにくいでしょう。それによって米国との関係が悪化する恐れがあることも念頭に置いたほうがいいでしょう。

そうなれば、IS掃討作戦にも悪影響が及ぶとの懸念も生じてきます。ISの勢力が盛り返したり、テロが拡散したりすることが心配されます。トルコは中東安定のカギを握る要の国なのです。前述の第1と第2の懸念は、中東情勢の一段の混迷につながる恐れがあります。

第3の懸念は難民問題です。この問題でもトルコはカギを握っており、欧州とはある意味で運命共同体となっています。現在は欧州への難民流入を抑制するためにトルコが多くの難民を引き受けていますが、これもトルコの安定が不可欠です。国内が不安定化すれば、難民問題への影響は避けられないでしょう。そうなれば、その余波は欧州に波及し、難民問題がより深刻になる可能性も否定できません。欧州各国もエルドアン政権の強権政治には批判を強めながらも、同政権に頼らざるを得ないという微妙な関係になりそうです。

第4の懸念は欧州経済への影響です。前述のようにトルコの経済発展は目覚ましく、欧州との経済関係も深まっています。人口で見ても、トルコは約7800万人で、欧州ではロシア、ドイツに次ぐ大国なのです。現在、EU加盟を申請中でもあります。しかし今回のクーデター事件とその後の政権の強権化で、EU加盟は遠のいたと言わざるを得ないでしょう。

またトルコへの観光客が減ることも予想されます。トルコを訪れる外国人は年間3981万人(2014年)に達しており、観光は同国の主力産業です。しかしこれまでに同国内で起きたテロによってすでに観光に影響が出ており、今後もテロ続発や政情不安などによって観光産業が打撃を受けることが想定されます。

欧州からトルコへの投資が減少する可能性もあります。こうして同国の経済が低迷すれば、その影響は少なからず欧州にも波及します。ただでさえ英国のEU離脱の影響が懸念されるところにトルコの混乱が加われば、欧州経済の先行きは厳しさを増しそうです。

トルコと欧米などの関係

これら4つの懸念は日本とも無関係ではありません。トルコには、トヨタ自動車、ブリヂストン、パナソニックなど大手企業を中心に約100社が進出しており、約2000人の在留邦人がいます。これは中東で最大規模です。またイスタンブールのアジア側とヨーロッパ側を結ぶボスポラス橋はかつて日本の円借款でITIなどが建設し、そのボスポラス海峡の地下を通る地下鉄も同じく円借款で大成建設などが建設し、3年前に開通したばかりです。

しかし今後のトルコ情勢次第では日本企業の戦略見直しが必要になるかもしれません。また欧州経済にも影響が出れば、そこから日本経済にも波及する可能性も意識しておいたほうがいいでしょう。

今、世界はテロの続発、難民問題、英国のEU離脱、米国の大統領選でのトランプ現象、中国の経済不安など難題が山積です。そこにトルコの政情不安が加わった形です。それだけに、同国の国内が安定するかどうかがカギとなりそうです。トルコは親日的な国として知られています。そのような国であるだけに、政情が安定して経済発展が続くことを願わずにはいられません。

執筆者プロフィール : 岡田 晃(おかだ あきら)

1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。MXテレビ「東京マーケットワイド」に出演。