ある打ち上げに参加したとき、不意にこんなことを言われました。
「雨宮さんは、結婚できるよ」。
最初、私はそれが「今独身だからといって、これからも希望がないわけじゃないよ」「あきらめる必要ないよ」というような、優しい慰めの意味の言葉なのかと思いました。しかし、そのあと、こんな言葉を続けられたのです。
「自分で欠点だと思っている部分があるでしょ。その欠点があるから結婚できないんだ、と思ったりするでしょ。でも、違うんだよ。逆なんだよ。欠けた部分がある人のほうが、その欠けた部分に合う人と強く結びつけたりするし、でこぼこやザラザラした部分のある人のほうが、誰かと接触したときに強い摩擦でくっつけたりするんだよ。なんにもない人のほうが、人と触れ合うときの接触面やとっかかりが少なくて、離れやすかったりもするんだよ」。
驚きました。そんなことはまったく考えたことがありませんでした。
誰だって結婚できる
私のように、独身で「結婚したい」というコラムを書いていたりすると、ことあるごとに「こうしたほうがいいんじゃない?」「こういうところがダメなんじゃないか」「こういう姿勢がチャンスを逃しているんじゃないか」というアドバイスを受けます。好意ゆえのアドバイスですし、それが外れていると思うことは滅多にありません。自分の状況を客観的に考えると、「そりゃ、そうだよなぁ」と思うことばかりです。
ただ、そういう経験を続けていると、自分で自分のことを「今のままでは結婚できない」「変わらなければ結婚できない」というふうに追い込んでしまうのです。
最近の私は、「このままの自分ではダメだ」と思う気持ちと、「でも、自分のしたくないことをしたり、大事な部分を曲げてまで結婚したくない」という気持ちの間で、ピッチを速くしたメトロノームのように揺れ動き、「そもそも、なんで結婚がしたかったんだろう?」というところまで行き着いてしまっていました。
人生を分かち合えるパートナーが欲しいという気持ちが根底にあるのは事実ですが、「そんなことでは結婚できない」と言われるたびに、自分に何かが欠落しているような気持ちになり、結婚することで何らかの承認を得たい、という気持ちがいつの間にか強く混じりこんでいました。
「結婚できるよ」。そりゃあ、誰だって未来のことなどわかりません。本当に私が結婚できるかどうかもわからない。けれど、私はそう言われたとき、「何かが欠落しているから、結婚できないわけじゃないんだよ。あなたは別に、どこかおかしいわけでも、結婚している人より劣っているわけでもないんだよ」と言ってもらっているような気持ちになりました。
そして、自分の中で、「結婚したい」という気持ちが、いつの間にか「結婚しなければ」に変わっていたことに気づいたのです。「結婚しなければ、自分はいつまでも欠落した人間のままかもしれない」と、自分で自分にかけていた呪いから、そのとき解き放たれたのでした。
<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。
イラスト: 野出木彩