「結婚したい」と腐るほど書いてきたこの私ですが、最近、この連載を単行本化するにあたって、今まで書いたものを何度も読み返していると、思ってもみなかった考えが脳裏に浮かんできました。
それは、「もしかして、私は結婚したくないんじゃないか?」ということです。「一人は寂しい」「このままずっと独身でいたくない」という気持ちは本物なのですが、私が求めている快適な生活の条件や、望んでいる人生の状態を見直してみると、そこに男性を一人巻き込むほうが難しいように思えてきたのです。
他人と暮らすのが苦手、仕事の邪魔はされたくない、子供は欲しくない……。もうこれだけでも、私が男だったら「勝手だな~」「結婚は無理だな」と思います。「そもそも、なんで結婚しようと思ったの?」というレベル。相手に合わせようという気がなさすぎるというか、わりと優先順位の高い条件がすごく重要な部分に絡みすぎていて、条件だけで相手を探すならまだしも、これでさらに恋愛して結婚したいなんて言ってたら、そりゃあ無理でしょ! と自分で自分にツッコミを入れたくなってしまったのです。
譲れない砦
そこに加えてもうひとつ、最近「私、結婚に向いてないのかも」と思ったことがあります。それは、「誰かと財布を一緒にする」ことに、非常に強い抵抗があるということです。財布を一緒にしなくても、結婚そのものはできます。割って分担すればいいのですから。でも、そこがどうしても気になるのです。いったいなぜなのでしょうか。
掘り下げて考えてみたら、私のプライドがそこの部分に非常に深く関わっていることに気がつきました。今の私は、「ひとりで働き、自分の力で自活している」ということが、唯一のプライドで、何が何でもこの砦だけは守ろうと考えている最後の一線でもあります。仕事に行き詰まったとき、肉体的・精神的にしんどいときでも、生活のことを考えたら仕事をせざるを得ません。
自分がだめになったら生活のあてがなくなる、という、一時停止することも不可能みたいな人生が不安で「結婚したい」と思う気持ちもあったのに、実際に結婚をリアルに考えてみると、一時停止ぐらいは許されるかもしれないという状態になったら、自分の唯一の誇りや、仕事に対する緊張感が全部なくなってしまうんじゃないかという不安に襲われたのでした。
特に、「結婚して、『養われてる』と周りから思われたら」と考えると、それだけでぞっとしました。そして、「私は自分の力で生活していないと思われることを、そんなに嫌だと思っているのか」と驚きました。結婚することで、自分のアイデンティティの一部が崩壊するかのような感覚がありました。
ずっと「一時停止」できる状態に憧れていたのに、「そうでなくなる」のにこんなに大きな抵抗を感じているとは、自分でも衝撃でした。考えてみれば、よくある話です。つらい状況にいるときに、それを乗り切るため、そんな状況を耐えている自分に誇りを見いだす。そして、逆にその状況から離れられなくなってしまう。変化が怖くなるのです。
そう考えると、自分の中にはもしかして結婚に対する強い抵抗が潜んでいるのでは? と思えてきました。私は本当は結婚したいのか、したくないのか……。カウンセリングにでも駆け込みたい気持ちでいっぱいです。
<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。
イラスト: 野出木彩