結婚している人と話していて、よくわからなくなることがあります。
「結婚って言っても、もう単なる同居人って感じだよ。男女って感覚はないな~」
「子供がいるからとりあえず共通の話題あるけど、それ以外はもうあんまり興味ないって感じ。パパとしてはいいパパだと思ってるけど……」
よく「結婚は恋愛とは違う」「まったく別物」と言われますが、あまり誰かと一緒に住みたいと思わない私には、この感覚があまり理解できないのです。
自分の中では「好きだから、夫婦というものをやってみるために(人と住むのは嫌だけど)一緒に住んでみるか……」という感覚なのに、「一緒に住んで良かった!」という話が全然聞こえてこないのです。
相手をホメない国民性?
では本当に、世の中の夫婦が「一緒に住んで良かった」と思っていないのでしょうか。おそらく、本当は「一緒に住んで良かった」「結婚して良かった」と感じる瞬間もあるのだと思います。
ただ、それはとても大事な気持ちなので、軽々しく他人に言いたくないのかもしれないし、周りが結婚に対する愚痴を言っている中、自分だけ「私は結婚してすごく幸せ~」とは言いづらいものがあり、周りに合わせて「問題にならない程度の軽い愚痴」を言うのが普通、と考えているだけなのかもしれません。
なんとなく「幸せ」よりも「軽い愚痴」のほうが言いやすいですし、「幸せ」と言っていると、変に妬まれたり、今不幸せな人の気持ちを刺激してしまうのではないか……という気持ちも働いているような気がします。
「幸せ」は哲学?
また、人前で幸せな話をしにくい大きな理由がひとつあります。それは、人が信じている「幸せの形」はそれぞれに違うということです。
結婚している人同士でさえ、例えば浮気は絶対に許さないか/遊びなら許すか、など、絶対に相容れない価値観を持っている場合があります。そんなに違う人同士で、いくら「結婚している」という共通項があっても、話が合うわけがありません。
私のような独身女は、内心結婚することを望んでいても、周囲の人からは「ひとりで生きるのが幸せ」だと思っている人だと思われています。そういう人間に対して「やっぱり、二人でいるっていいよ~」「子供がいるって楽しいよ」という別の価値観の話も、なんだか言いにくいのではないでしょうか。
結婚して子供がいる人でさえ、周りからいきなり「じゃあ、次は二人目だね!」「一人っ子じゃかわいそうだよ」など、かなり強烈な「幸せという価値観の押しつけ」を受けてげっそりすることが多いとよく聞きます。そういう経験のある人ほど、自分がそういうもの言いをしないように気を遣う……そして、私のもとには結婚生活の重要な部分の情報が全然伝わってこなくなってしまうのです。
羨ましさで気絶しそうになってもいいから、もっとのろけて、結婚生活がどんなに楽しく、苦しく、充実していてやりがいがあり、はりあいがあるのか聞かせてほしい……。私はそう願わずにはいられません。
<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。
イラスト: 野出木彩