友人、と呼ぶにはまだまだつきあいの浅い、でもとても尊敬している大好きな女友達の結婚パーティーに参加してきました。それほど大きな規模ではなく、集まったのは気心の知れている人たちで、堅苦しい演出はなし。おいしい食事とお酒が用意されていて、控えめに言っても、とても素敵な会でした。
その中で、特に印象に残った場面がありました。それは、今後の結婚生活についての新郎のコメントです。
「彼女自身の輝きを、ずっと失わないで欲しい」。
なんとか表面張力で涙がこぼれるのを押しとどめたものの、それから一週間経っても、この言葉は私の頭の中でこだましていて、離れてくれません。
それほど多くはないですが、今までいくつかの結婚式や、結婚パーティーに出席してきました。けれど、こんな言葉は新郎新婦のどちらからも、お祝いのスピーチでも、聞いたことがなかったのです。日本の男性はシャイだとよく言われますし、公衆の面前では照れてこういうことを言わないだけかもしれませんが……。
「結婚は忍耐」という刷り込み
私は、恋愛結婚をしたいと考えていますが、それでも心のどこかで「結婚とは我慢である」「結婚とは忍耐である」と、強く思っていました。相手のために自分が折れなければならない場面も多いだろうし、いかに男女平等といえど、家事の負担は自分のほうが多くなるのだろうとも。
「ともに生活してくれる相手を得るには、何かを失わなければいけない」と思っていました。今までと同じように仕事はできなくなるだろうとも。パートナーが欲しい、と強く願う一方で、結婚したら失うもののことを考えると、ただ明るい気持ちで結婚生活をイメージすることができませんでした。
そのもやもやとした霧のような不安が、新郎のその言葉で一瞬で晴れたのです。「世の中には、このような結婚があるんだ」と思いました。
新郎も新婦も、自分の足でしっかりと立っている、素晴らしい人たちです。ひとりで生きていても、充実した生活を送る力のある人たちに見えました。そういう魅力的な人たちが、もっと人生を楽しむために結婚をする、という「全面的に前向きな結婚」の形を、私はそのときはっきりと見たのです。
羨望や嫉妬など起こりようのないほど、素晴らしいことだと感じました。もし、理想の結婚というものがあるとしたら、私にとってはこんな形だと思いました。
人生のパートナーに出会った男性の、重みのあるその言葉を聞いてから、私は男性に気に入られるための小さな媚びや演出など、あまり意味がないと実感しました。新婦は、思いきり好きなことに打ち込み、才能を活かした仕事をし、その分野で様々な人の信頼を得ている人です。小手先のことよりも、彼女が彼女にしかない魅力を放っていることのほうがずっと大事なのだということが、綺麗事ではなくスーッと身体の中に入ってくる感じがしたのです。
私自身がそういう人になれるか、そしてそんな自分を受け入れてくれる相手とめぐり会えるかはわかりません。けれど、自分が自分らしく好きなことに打ち込み、努力をし、充実した人生を作り上げていくことは、いま自分にとって、もっとも大事なことなのではないかと思えました。
自分が自分らしく、小さなことにとらわれず生きること。そして、誰かに幸せにしてもらうのではなく、自分が得てきたもので相手を楽しませられるような人間になること。それは、たとえ結婚できなかったとしても、決して無駄なことではないし、結婚する/しないに関わらず、自分の人生を豊かにしてくれるもののような気がしています。
<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。
イラスト: 野出木彩