以前の連載(「第2回 私は、どうして結婚できないの?」)でも書きましたが、私は家族のすすめにより、お見合いをするハメになったことがありました。結果、やっぱり自分にはお見合いは向かないな、と感じ、向かないのにこういうことを続けるのも相手の方に申し訳ないので、家族に「もうお見合いの話は持ち込まないでほしい」と伝えました。
すると、こんな答えが返ってきました。
「こないだ、東京のあんたの家に遊びに行ったとき、なんかかわいそうになってねぇ。そっちは地震も多いし、そんなときに頼る人もおらんのかと思うとねぇ……」
グサッと来ました。もう、働き始めてからこんなにグサッと来るセリフは聞いたことがないというくらい、こたえました。電話を切ったあと、ベッドに倒れ込んで20分は立ち上がれなかったと記憶しております。それくらい、この「かわいそう」というセリフには、破壊力がありました。
独身なだけで全否定?
私は独身ですけど、まぁそれなりに一生懸命仕事をしてきました。今35歳、働き盛りだし、ようやく仕事でも一人前と認められる年齢になりました。仕事しながら、自分の好きなこと(例えば映画を観るとか音楽を聴くとか)をしたり、恋愛もしたいからそれなりにおしゃれをしたり、そんなことをしながら暮らしています。
仕事をしている人ならみんなそうだと思いますが、ラクな生活なんてないです。でも、自分なりにがんばって、自分なりに成果をあげてる。なのに、独身なだけで、その成果を認められるより先に「かわいそう」って……。あまりにも全てのやる気を奪われる言葉じゃないでしょうか。男だったら、35歳で独身で、仕事がうまくいってて「かわいそう」と言われるなんて、あり得ないと思うんです。
女で35歳で独身。その重みは、本人が一番強く感じてるんです。このまま、しんどいときに泣きつく男の胸もなく孤独に暮らしていくのかと考えると、枕を涙でぬらす夜もある。結婚して子供を持ちたいと考えている人の悩みはもっと切実で、深刻でしょう。
「かわいそう」という同情の言葉に救われることもありますが、「かわいそう」と言う前に、私は、自分のがんばってきたことを認めてほしいです。そりゃあ寂しくてつらいし、頼れる男性もいないけれど、それでも女手ひとつでここまでやってきたことを褒めてほしい。特に、唯一の味方であるはずの家族や、友達には。頼れる相手もいないことを「かわいそう」と思うより「がんばってるね」と認めてほしい。そう思います。
イラスト: 野出木彩
<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。