2014年5月11日、JR西日本は神戸駅にて大阪~神戸間開業140周年記念セレモニーを開催した。現在は特急列車や新快速が行き交うこの区間も、開業当時はのんびりしていた。その新旧の比較と、日本の列車ダイヤ史上の大事件を追ってみよう。

JR神戸線大阪~神戸間のダイヤ。黒い線が普通、青い線が快速と新快速、赤い線が特急

まず、現在のJR神戸線大阪~神戸間の朝ラッシュ時間帯のダイヤを作ってみた。パターンダイヤだから入力は簡単とはいえ、かなりの本数になった。複々線区間だから複線区間の約2倍の本数だ。普通、快速、新快速、特急が入り乱れる。大都市の路線に相応しい過密ダイヤだとひと目でわかる。

当連載第2回にて、1884(明治17)年の新橋~横浜間の列車ダイヤを紹介した際、資料は国立公文書館アジア歴史資料センターのウェブサイトにあった。じつは、このページには関西の鉄道の時刻表も掲載されている。同じく1884年、大津~大阪~神戸間だ。この時刻表を入力し、現在の朝ラッシュ時間帯のダイヤと同じ縮尺で表示してみた。開業から10年後。いまから130年前のダイヤだ。

1884(明治17)年の大阪~神戸間のダイヤ。上と同じ時間帯

見事にスカスカである。現在と同じ区間、時間帯だとは思えない。上下とも2時間に1本ずつしか走らない。この時代、もちろん通勤ラッシュもなかった。本当におおらかな時代である。もっとも、この年の5月には群馬事件、10月には秩父事件などが起き、12月は朝鮮で甲申事変が起きた。庶民が自由と解放を求めた時代ともいえる。鉄道の分野では、日本鉄道が上野~高崎間を開業させた。少しずつ、時代がスピードアップしていた。

ところで、資料にあった1884(明治17)年の大津~神戸間の時刻表をすべて入力してみたら、美しい図表になった。縮小して1日分を表示してみよう。

1884年、大津~神戸間の始発から終着までのダイヤ

単線で上下の列車は等間隔。すれ違う駅は京都・茨木・大阪に統一されている。列車の間隔が同じという意味では、前回説明した「平行ダイヤ」だ。そして単線区間の平行ダイヤは、すれ違いできる駅をすべて活用し、必ず列車がすれ違う。きちんと結び目ができるダイヤになるためか、このようなダイヤを「ネットダイヤ」という。

複雑な「ネットダイヤ」の影に、外国人技師の秘密があった

当時の列車ダイヤ作成は日本人の仕事ではなかった。鉄道に限らず、あらゆる近代化産業は外国人技術者に指導されていた。列車の運行管理も、W・F・ページという技術者が担当していた。ページは日本人の鉄道関係者に対し、作業中の自室への立入りを禁じた。そして運行計画を作ると、列車ダイヤではなく時刻表を差し出したという。ページは列車ダイヤの手法を隠し続けた。

日本人鉄道員は時刻表を受け取ると、その時刻通りに列車を動かした。ページの指示通りに運行すれば、列車は駅でちゃんとすれ違う。急行列車や貨物列車が増えても、ページは完璧な時刻表を作った。どうしたらこんな計画が作れるのだろうか? 日本人たちは不思議に思っていたそうだ。

あるとき、ページは外出するときに部屋に鍵をかけなかった。日本人技術者がページの部屋を訪ねたとき、ページは不在で、机の上に列車ダイヤがあった。これを見て、ページが列車ダイヤを作っていたとわかった。1890年代になると、日本人技術者によって列車ダイヤが作られるようになった。

「ページが鍵をかけずに外出した」という行為にはふたつの説がある。ひとつは「うっかりしていた」説。列車ダイヤの秘密が知られてしまうと、ページは職を追われかねない。だから秘密にしていたけれど、うっかり鍵をかけ忘れて日本人に知られてしまった。もうひとつは「ページの善意」説。ページは日本人技師に列車ダイヤの秘密を伝えるために、わざと部屋の鍵をかけなかった。どちらが正しいか、真実を知る者はいないという。