魔法瓶をはじめ、調理家電や生活家電を手掛ける象印マホービンから今年2月に発売された「STAN.(スタン)」シリーズ。現時点では、IH炊飯ジャー、電動ポット、コーヒーメーカー、ホットプレートの家電4製品が展開されている。2018年に創業100周年を迎えた同社が、次の時代を担う世代に向けて、新しい"暮らしの道具"のかたちを提案するという触れ込みで送り出された製品群だ。
いずれもマットで落ち着いたブラックを基調に、インテリア性の高いデザインに統一されているのが特徴だ。シリーズの発売に至る経緯や背景、プロダクトデザインに込められた思いや開発秘話を、同社デザイン室長の堀本光則氏に伺った。
デザイン先行で開発した異例のプロジェクト
"見せる楽しみ"を意識してデザインされたという同シリーズ。調理家電としての便利さはもちろんのこと、ユーザーの視覚に訴える要素を満たす必要があった。その方向性としてさまざまな選択肢がある中で、黒を基調としたシンプルでシックなデザインを選んだのは次のような理由があるという。
「フライパンなどの調理道具とのなじみもよく、最近のトレンドであるマット調の素材感を引き立たせることができる点や、上質さを感じやすいことから、黒を基調としたデザインを選びました。黒はユニセックスな色でもあり、実際に商品化前にターゲット世代に行ったアンケートでも、男女問わず黒いモデルが支持されました」
デザインとクリエイティブディレクションには、青木亮作氏・治田将之氏から成るクリエイティブユニット・TENTも関わっている。WindowsやAndroid携帯端末の「NuAns」シリーズや、突っ張り棒の「DRAW A LINE」シリーズなどで知られ、国内外のデザイン賞で多数の受賞歴を持つ2人組だ。
「2017年4月頃に、2019年に迎える創業101年目にふさわしい、新しい象印のイメージを打ち出すデザイン先行型の商品を作ろうという話が持ち上がり、開発がスタートしました。そこから、ターゲット世代である30代の共働き・子育て世代が欲しいと思う商品を作るために、ターゲット世代と同世代の企画・開発担当者が中心に集まって試行錯誤したのですが、なかなかアイデアがまとまりませんでした。そこで、TENTさんにデザインを依頼し、イメージを先行して固めました。デザインのコンセプトを一貫してお客様に伝えるために、ネーミングやグラフィック関連のデザインも含めて、完成まで商品作りに携わっていただきました」
通常、同社における商品開発のプロセスは、機能・スペックを決定した段階からデザインを決めていくのが一般的な流れだそうだ。ところが、STAN.シリーズに関しては、完全にデザイン先行で開発が進められた、同社としては異例のプロジェクトと言える。
とはいえ、家電製品である以上は当然だが、象印としては機能性もおろそかにはできない。そこで今回の取り組みで大切にされたのは、"使いたくなるデザイン"。中でもメインターゲットである30代の共働き・子育て世代に響くデザインであることが意識された。
「具体的には、例えばIH炊飯ジャーと電動ポットの操作ボタンや機能表記を本体上面に集約して、その面を若干凹ませています。こうすることで実際、製品を近くで見た場合にはこれまでどおり安心して使用ができつつも、離れて見るとインテリアの一部としてシンプルで静かな佇まいになります。機能性とデザイン性を両立させる工夫が反映されたかたちです」
現代の生活に寄り添った象印の新しいスタンス
ちなみに、シリーズ名の「STAN.」には、"STANDBY"、"STANDARD"、"STANCE"の3つの意味が込められている。使う人の暮らしに"スタンバイ"し、安全で使用しやすい"スタンダード"な製品をつくり続けるという、象印の"スタンス"をあらわした新しい家電シリーズを提案したいという思いが表されている。ラインナップする4つの製品は、いずれも日常生活に常に"スタンバイ"して家事を補助してくれるキッチン家電という点が共通している。それゆえ、生活空間のノイズにならないインテリア性が非常に大切にされているのだ。さらに、堀本氏は次のように補足する。
「いまどきのキッチンは、お母さん一人で切り盛りするものではありません。ダイニングテーブルと一体となって、家族一緒に食事の準備をしたり、夫婦2人でゆっくり過ごしたり、友人を招いてホームパーティーをしたり……と、楽しく、豊かな時間を過ごすスペースとなっています。そんな場所にあって違和感のない、"道具"としての佇まいを重視し、"家電"というよりはまるで"器(うつわ)"のようなデザインにすることが、シリーズ全体のデザインコンセプトです」
また、4つの製品ラインナップは、ターゲット層に定める30代の共働き世帯や子育て世帯の生活を支える上で、特に必要不可欠な家電であるという側面もあり選ばれたものだ。それが機能面にも反映されており、例えばIH炊飯ジャーでは離乳食が簡単に作れる「ベビーごはん」メニュー、電動ポットではミルク作りに役立つ70℃保温機能、コーヒーメーカーでは夫婦2人分を想定したサイズ感や給水やお手入れがしやすい水タンクを採用。ホットプレートは親子で調理することを想定し、本体ガードをプレート面よりも高くすることで、誤ってプレートに直接手が触れてしまうことを減らす構造が採用されている。
価格設定も30代が手に届きやすい範囲を目標とした。コストダウンを図るためには従来使用していた共通部品を使用するというのが一般的だが、堀本氏は「コンパクト性とデザイン性の高い商品にしたかったので、例えばSTAN.シリーズの電動ポットでは、実は組み込まれている部品の90%以上が新たに設計し直されたものです。トレードオフの関係にあるコストダウンとデザインのバランスを調整するのにも設計者は苦労しました」と明かす。
満足いく質感を実現するため、何度も工程を積み重ねた
また、STAN.シリーズを際立たせる特徴的なデザインとして、本体底部にあしらわれたコルクや木目に見立てたワンポイントが挙げられる。このワンポイント、堀本氏によると、実は製造・設計・デザイン面で最も苦労した部分だという。
「コルクや木目の素材感を残しつつも、それぞれの色合いを出すための調整が大変でした。というのも、例えば本体上部の黒い部分と底部のワンポイント部分のマット感を出すためのシボ加工の度合いは、上部は細かめ、底部は若干粗めというふうに同じではありません。実は4つの商品は製造国や地域が違うので、同時進行でそれぞれを合わせていくというのが難しかったです。シボ加工の色味を合わせる調色の工程の際、人の手で触って確かめるタイミングが限られてしまうので、それぞれのサンプルを一度日本に送っては感触を試し、一番理想に近いサンプルに他のサンプルを近づけていくといった工程を経て、統一感が出せるように仕上げていきました」
製造初期の段階では、部材を金型から抜いた時点で、狙った質感が失われてしまうという問題にも悩まされた。これを改善するため、「肉眼や手触りに加えて、シボ加工の度合いを数値化できる装置を使ったりして、高いレベルで足並みが揃うように量産直前まで改良を重ね、ようやく当初のデザインイメージを損なわない状態で製品を仕上げることができました」と話す。
今後のラインナップの拡充については、「現段階では未定ですが、発売後にいただいているいろいろなご意見を参考にしながら、次の展開を検討します」と堀本氏。創業から100年を経て、象印の新たなイメージ打ち出すために登場した「STAN.」シリーズには、想像以上に次世代を担う人々への思いが託されていることが伺い知れた。