2020年の商用化を目標にパナソニックが取り組んでいる「Mプロジェクト」。日本を代表する総合電機メーカーとして、家電、住宅、車載、B2Bなど幅広い事業分野にわたる技術を擁する同社が、各分野の垣根を超えて持てる技術力を集結させた新規事業を創出することを目的に、2013年に船出したプロジェクトだ。
同プロジェクトのリーダーを務める、パナソニック イノベーション戦略室 戦略企画部の川口さち子氏は、プロジェクト発足の経緯の背景には、人々の価値観の変容や多様性があると説明する。
「弊社はこれまで、技術を基点にした商品を多数のお客様に向け、単品、売り切りというビジネススタイルで提供してきました。しかし、これからは、多様化する人々のライフスタイルに寄り添うかたちで商品やサービスを提供していくことが必要と考え、改めて"これからの家電はどうあるべきか"を議論しました。そしてたどり着いた結論のひとつが"ひとりひとりのお客様のニーズを満たす"ことです」
そして、より"パーソナライズ"された商品やサービスを消費者に提案、提供していくことの潜在的ニーズを想定した際に、そうした需要と親和性が高く、かつテクノロジーという点ではまだまだ未開拓の領域が多いのが「美容」の世界だったというのだ。
先端技術で肌を分析する「鏡」
Mプロジェクトの具体的な施策として、2015年のCEATECで実際にカタチとなって公開された先進テクノロジーの1つが「スノービューティーミラー」だ。簡単に言うと、一人ひとりの肌状態を分析可能なセンシングデバイスを備えた「鏡」である。白雪姫の世界のように、"真実の私"を映し出す鏡である……とはいえ、もちろんおとぎ話の魔法の世界の話ではなく、そこにはパナソニックの最先端技術が投入されている。
鏡をのぞきこむと、シミ、シワ、毛穴などの肌状態が測定され、その結果が即座に映し出される。仕組みとしては、鏡の中に埋め込まれた非接触センサーが、光の反射や吸収の違いを利用して肌表面と表面下の状態を検出するというものである。セキュリティカメラなどで利用されている顔認識技術や、デジタルカメラの美肌機能の逆使いとなる画像処理技術が応用されている。
センシングされた肌データは美容皮膚科医が監修した評価軸をもとに分析され、評価付けなどを行う。それをもとに、適切なケアやおすすめのスキンケア商品を提案してくれる。過去の肌データを蓄積して、経年で定量効果を比較するといったことも可能だ。
メイクを"塗る"から"貼る"に変える「シート」
同プロジェクトではもうひとつ、翌2016年のCEATECで公開された「メイクアップシート」も興味深い。その人の肌状態に合わせてコンシーラー層とファンデーション層が印刷された超極薄シートで、肌に貼るだけで、気になる部分を隠すことができる。
先ほどのスノービューティーミラーによる肌状態の分析結果から、シミを位置や色味、色の濃さなど性質ごとにグループ分けを行った後、この超極薄シートへ適切なコンシーラーおよびファンデーションを印刷する。メイクの常識を"塗る"から"貼る"に変えてしまう、これまでにない画期的なアイディアだ。
シートの素材には手術などで使われる生体適合性のある素材が用いられており、厚さは数百ナノレベル。水だけで肌に直接貼り付けたり、肌から剥がし取ることができる。乾くと肌になじんで、見た目も感触も貼っていることがほとんどわからなくなってしまう。まさに"皮膚"そのものといった印象だ。
印刷には、化粧品で使われている材料から構成される独自開発のインクが使われている。ただし、化粧材料のインクは粒子が粗く、プリンターのヘッドからうまく出すのは簡単ではないという。これにはパナソニックが有機ELテレビの製造で培ってきた印刷技術や材料開発技術を応用し、その壁を乗り越えた。同プロジェクトで主任技師を務める小野寺真里氏は次のように明かす。
「有機ELテレビのパネル製造では、表面に発光デバイスをプリンティングしています。その際にインクジェット印刷を利用しており、発光デバイスをインクジェットで出せるようにするため、材料設計技術、ヘッド開発技術、吐出制御技術、高精度印刷技術などに力を入れて開発していました。メイクアップシートの印刷には、それらの全技術を転用しています」
技術的にもうひとつ難しかったのが、"肌色の再現"だという。例えば、プロのメイクアップアーティストは、シミごとにコンシーラーの色を変えたり重ね方を変えるなど、隠し方を変える。メイクアップシートでは、下にコンシーラー構造を印刷し、その上にファンデーション層を重ねる方法で、化粧では隠れにくいシミを隠すことができる積層構造を1枚のシート上に印刷している。
小野寺氏は、「肌色を合わせると同時に、シミを隠せるようなインクを両立させることがとても難しいのです。うまく両立するような材料の設計だったり、色の設計だったり、材料からヘッドの設計までトータルの技術力を持ち合わせている弊社だからこそ達成できたと思います」と話す。
メイクアップシートの専用プリンターが、スノービューティミラーの肌色データを受け取り、それをもとに最適なインク量などの最終調整を行う。「よく化粧品メーカーの方が、こういうリキッドだったらプリンターに仕込んだら印刷できるんじゃないか、と(簡単に)おっしゃる場合があります。ですが物性がトレードオフの関係にあったりもするので、セットしたら簡単に印刷できるというものではないんです」と小野寺氏。川口氏も「半透明な膜の上へ貼ったときの肌色を想定して印刷する技術は、印刷業界においても難易度が高かったようで、私たちがそれを知らなかったんですね。知らなくて、愚直にやったらできちゃった。無知が先行したイノベーションかもしれません」と続けた。
まずはBtoBに開発
2020年の商用化を目指して研究・開発が進められ、技術発表からは2年あまりを経た「スノービューティーミラー」と「メイクアップシート」だが、現時点で技術的には既に完成形に近い領域にまで到達しているとのこと。
「2015年の技術発表当時のものに比べると、特にセンシングは全体的に20%ほどは精度が底上げされています。通常のカメラだと、照明環境に応じて同じ肌でも異なって撮影されてしまうのですが、スノービューティーミラーの場合は、照明環境が多少変わったとしても同じ肌として認識できるよう技術的な工夫をしています。さらに、ファンデーション、コンシーラといった従来のメイクでは隠しきれなかったシミも、色の重ね方を駆使し、自然に隠せるようになりました。ハード的には大きく変わっていませんが、ソフトの制御によって中身は相当進化しています」(川口氏)
いまは化粧品メーカーへの具体的な導入に向けた"詰めの段階"にある。「化粧品メーカー様の安全性の基準は大変厳しいです。現在は、安全性の基準をクリアできるようにする開発や、各種ご要望に応じた調整を実施しています。また、弊社から化粧品メーカー様へ、そして、エンドユーザーのお客様へどのような形でご提供させていただくのがよいか等、詳細な調整も進めています」とのこと。
スノービューティーミラーとメイクアップシートは、まずは化粧品メーカーの店舗設備として我々消費者の前に登場する見通しだ。
最後に、今後の展望について訊ねると、次のように明かしてくれた。
「まずはB2Bからの導入というかたちになりますが、将来的にはもちろん家庭用も考えています。現段階では家庭に置くにはまだまだサイズが大きかったりもします。"小型化"はパナソニックの得意分野のひとつでもあります。メイクアップや美容の新しい文化として、家庭向けの製品も将来的には実現したいですね」