体温計が必要になるのは、たいてい体調が優れないとき。ベッドの中で布団にくるまって、汗をかき震えながら、何もしたくないのに、それでも体温を測らなければならないとき、こういう優しいかたちの体温計だったら、子どもだけでなく、大人もうれしい。お年寄りも子どもも、男性も女性も、すべての人に等しく優しく、そしてかたちとしても美しい、こういうのをユニバーサルデザインと呼ぶのだろう。

本体。丸みを帯びたやわらかいフォルム

その体温計の名前は、「けんおんくん MC-670」。小さな体温計の優しい仕掛けを見ていくことにしよう。まず、目の悪いお年寄りにも見やすい大きな表示画面。次に、熱で頭がフラフラしていても押しやすい大きな電源ボタン。さらに、脇にしっかり挟めてずれにくい平たい検温部分。そして、じっとしていられない小さな子どもでも耐えられる30秒検温。最後に、これらを包括する丸みを帯びたやわらかいデザイン。この体温計には、優しさ、すなわち愛が詰まっている。

見やすい大型表示

この愛情のこもった体温計をデザインされた、デザインスタジオエスの柴田文江さんに、「けんおんくん MC-670」の開発裏話、デザインのポイントなどについて伺った。

商品開発におけるコンセプトは、「Mother's Love」。病院やドクターのイメージではなく、母の愛のような優しさ、あたたかさ、安心感、知性、誠実さ、それらをデザインによって表すことで、日常の中に溶け込む医療機器のあり方を提案したい、と考えたのだという。

医療機器とデザイン。あまり共通点は多くないように思うのだが、プロジェクトはどのように進んでいったのだろうか。クライアントであるオムロンとのやりとりの中で、印象に残ったエピソードについて聞いてみた。

「最初のプレゼンテーションでスケッチをご提案したときから、すべてがスムーズに進行していたことが印象的でした。それはプロジェクトのメンバー全員がデザインに納得して開発に取り組むことができたからではないかと思っています。デザイナーはゴールをイメージして絵を描くことはできますが、それを実際に製品に作り上げるのはチームプレーですので、技術や営業など色々な立場の方々にもデザインに対して納得をしてもらうことに何より神経を使いました。一番嬉しかったことは、デザインの意図どおりの製品に仕上げていただいたことです」

電源オンはワンクリックで

脇に挟んでも平たくてずれにくい検温部分

デザイナーとクライアントが共鳴しあい、さまざまな立場の方々とのチームプレーから生まれた「けんおんくん MC-670」のヨーロッパ発売モデル「MC-670-E」は、「レッドドット・デザイン賞」や「iFデザイン賞」を受賞。ヨーロッパで高い評価を受けた理由として、柴田さんは、次のように語ってくれた。

「体温計のような成熟した商品でこのような賞をいただけたのは、デザインが体温計の新しいあり方を提示できたからだと思います。それから、『測る・読み取る』だけの機能しかないプリミティブな商品なので、その基本機能をカタチによって充実させた点を評価していただいたのだと思っています」

ケース付なので、いつでも手の届くところに気軽に保管できる

「けんおんくん MC-670」のデザイン性が高く評価されたことで、これまであまりデザインの観点から語られることの少なかった医療機器にも、デザインの目が向けられたように思う。柴田さん自身も、今後、自らが手がけたことのないジャンル、アイテムのデザインを意欲的に手がけていきたいそうだ。そして、これが個人的に大切だと感じたのだが、"新しくデザインすることで、それ以外の不要なデザインを整理していきたい"のだという。

赤ちゃんの柔肌とも相性がよさそう

「むやみに作り続けるだけではなく、長く使われ、大切にする気持ちをはぐくむようなモノづくりに対して、デザインの立場からできることを探しています」と結んでくれた柴田さん。この考えは、「けんおんくん MC-670」に限らず、彼女が生み出したすべてのデザインから感じることができる。"誰もがいつまでも触れていたいデザイン"、それが柴田さんの、デザインスタジオエスのデザインなのではないだろうか、と思う。

Design Studio S(デザインスタジオエス)

代表の柴田文江さんが1994年に設立。携帯電話、家電、日用品など、おもにプロダクトデザインを手がける。赤ちゃんや子どもに向けた優しいプロダクトが多いのも特徴。レッドドット・デザイン賞、iFデザイン賞、グッドデザイン賞など、これまでに受賞多数