累計5000億円を運用してきた元ファンド・マネージャーが、その膨大な知識と経験を生かし、これまでになかったマネー小説を、Web上で執筆します。掲載最初の週である先週は平日毎日更新しました。今週からは週1回の更新となります。先週の記事へのリンクは以下の通りです。
【連載】マネー小説 『Dekai! 出界!』 第1回 第1章(1) 【連載】マネー小説 『Dekai! 出界!』 第2回 第1章(2) 【連載】マネー小説 『Dekai! 出界!』 第3回 第1章(3) |
女性インタビュアーは柏木の発言を受けて、さらに質問をした。
「確かに米国は構造的に難しい状況に陥ったかもしれませんが、それに代わる<成長のエンジン>は他の国に生まれたのではないでしょうか? たとえば、中国や新興国で?」
柏木は軽く微笑みを作ってから答えた。
「エンジンのひとつであることは否定しません。12億の人口を持つ国が豊かになるプロセスが世界経済に好影響を与えることは間違いありません。しかし、あの国は米国とは経済構造が違います。米国は<内需成長型>の国ですが、中国は<外需成長型>です。つまり、輸出に大きく依存している。将来のどこかで内需型に転換がなされるかもしれませんが、10年以内には不可能でしょう。それに貯蓄率も高い。つまり個人が消費に向けるエネルギーが構造的に少ない。世界を見回して米国と同じ内需型になっている新興国は……ブラジルだけですね。ブラジルが米国の代わりになれば成長のメイン・エンジンになるでしょうが、その規模は小さい。それを考えると……」
柏木はそこまで言うと視線を落とし、少し淋しげな顔つきになった。自分の表情から結論を読み取って欲しいという態度に思われた。
その後も質疑応答は繰り返された。特にユーロ圏の信用問題に時間が費やされ、柏木は丁寧に答えていった。そして最後に、話題は日本のことになった。
「ユーロ圏の信用問題もあって通貨では円が長期的な上昇傾向を続けていますが、ミスター・カシワギはこれについて、どのようにお考えですか?」
「為替は本当に難しい。どんな力学が通貨に働くかは永遠の謎と言っていいかもしれない。でも、マネーのプロとして私が、そんなことを言ってはいられないですよね」
柏木は笑いながら言ってから続けた。
「<円>という通貨を考えるには、逆説的な説明をしなくてはならないと考えています」
一転、真剣な表情になった柏木にインタビュアーは小首を傾げた。
「逆説的?」
「<為替>、つまり国家が発行する通貨の価値が何によって決まるのか————あるべき姿として、<国力によって通貨の強弱が決まる>としましょう。すると、円という通貨を発行している日本という国の国力は現在でも強くなり続けていることになりますね。でも、直感的にその等式は成り立たないとお感じになるでしょう?」
「確かに日本経済の長期低迷とは異なりますね」
「<国力>とは何で構成されているか? 私は、<政治力>、<経済力>、<軍事力>、そして<ソフト・パワー>の4つの総合で構成されていると考えています。この考え方に異論はないと思いますが?」
女性インタビュアーは頷いた。
「ひとつずつ見てみましょう。最初の<政治力>には<外交力>も含まれます。日本の現状は酷いものです。政権交代後は混迷の連続で外交面でも戦後最悪の状況を作り出してしまった。2番目の<経済力>は見ての通りです。バブル崩壊以降、<失われた20年>は30年になりかねない。3つ目の<軍事力>は……周辺諸国の軍事増強の中で、安全保障の米国頼みは否めません。そして————」
「最後の<ソフト・パワー>————文化や芸術による対外発信力ですが……<KAWAII(カワイイ)>以外、特に目立った発信は出来ていない。以上のように、総合的に見て日本の国力が下がっているのは明白です。では、なぜ日本が発行する通貨、<円>が上昇を続けるのか?」
インタビュアーは身を乗り出し、柏木を見詰めた。
「私は、今の世界経済の状況は1930年代と同じ様相を呈していると考えています。主要国が各々時間差でバブル崩壊を起こし、デフレ状態に陥っている。中国の不動産価格を見ても明確にバブル崩壊を起こしている。つまり、世界はデフレに陥ってしまっているのです。国内の消費や投資、つまり内需は伸びず、外需に頼るしかない。全ての国は何とか輸出を伸ばして外貨を獲得しようとする。そのために自国通貨を安くして輸出競争力を高めたい。そこに<真の国力>が働きます。1930年代に<近隣窮乏化政策>と呼ばれたものを、暗黙の裡に世界主要国は国力の発揮と共に採っています。つまり……」
言葉を切ってから、柏木は厳しい口調で続けた。
「国力の強い国の通貨が弱くなり、国力の弱い国の通貨が強くなる。国力の強い国が輸出を伸張させて外貨を稼ぐ————そういう前提が今の為替マーケットを支配している」
「だから国力の弱まった日本の通貨、円が上昇していると……」
「日本人として悲しいですが、それが事実です。中国は国力があるから自国通貨の人民元を安く維持できる。円ドルの過去の関係をごらんなさい。円は米国の意思によってその方向性が決められて来た。米国政府の意思、米国企業の意思、米国通貨当局の意思、その総合によって決まって来たのです。米国の力が世界の中で相対的に落ちる中でも米国に代わる国々の総合力が日本に勝っている。それが円を<強くする>バイアスをかけ続けるのです」
「柏木さんは日本という国のこれからを、一体どのようにお考えですか? 日本への投資、低迷を続ける日本株への投資を、これからどのようにお考えなのでしょうか?」
女性インタビュアーは真剣な面持ちで訊ねた。
「あの国は……もう、ダメです」
(イラスト : ミサイ彩生)
執筆者プロフィール : 波多野 聖(はたの しょう)
本名、藤原敬之。一橋大学法学部卒業後、農林中央金庫に入庫、国内及び米国株式を運用。野村投資顧問(現野村アセット・マネジメント)に移り米国・英国年金の日本株式運用を担当。クレディ・スイス信託銀行で、日本株式運用部のマネージング・ディレクターを経て、日興アセット・マネジメント社内に、業界史上初の個人名を冠した「藤原オフィス」で運用を担当。その後独立。累計5000億円を運用してきた。デビュー小説『銭の戦争』(角川春樹事務所・ハルキ文庫)を第2巻まで刊行している。