女優の上白石萌歌が、2月28日に20歳を迎えた。この歳で芸歴はすでに10年。2011年、第7回「東宝シンデレラ」オーディションで史上最年少の10歳でグランプリを獲得し、審査員特別賞を受賞した姉・萌音と共に芸能界入りを果たした。
近年では、『義母と娘のブルース』(18・TBS)、『3年A組 -今から皆さんは、人質です-』(19・日テレ)、『いだてん~東京オリムピック噺~』(19・NHK)など話題作への出演が続くが、デビュー間もない頃はオーディションに落ち続けて自信を失い、姉・萌音の活躍を羨ましく思ってしまう時期も。20歳の記念に発売する写真集のタイトル『まばたき』(宝島社)には、「19歳から20歳への移ろいも、まばたきするみたいに無意識なんだろうな。そんな無意識ななかでも何かを丁寧に刻めたら」という思いが込められているという。
俳優・女優のターニングポイントに焦点を当てるインタビュー連載「役者の岐路」の第9回。上白石萌歌はデビュー間もない挫折、そして姉がライバルという特殊な環境をどのように乗り越えてきたのか。そこには、教師である両親からの言葉が深く関わっていた。
■人前で話すことも苦手な幼少期
――写真集の発売日が20歳の誕生日。一生の思い出になる1冊ですね。
このような取材の時に、成人になっての目標や「これからどんな大人になりたいか」と聞かれることが増えているので、20歳になる実感が少しずつ湧いています。私にとっての「20歳」は大人のイメージでしたが、今の自分が間近に控えていると思うと、すごく不思議です。
――発売決定時に、「お話をいただいた時は、自分にそんな日が来てもいいものだろうかと驚きました」とコメントを出されていたのが印象的でした。
めくってもめくっても「自分」でいいんだろうかと……(笑)。ありがたいことに、SNSでもたくさんのメッセージをいただきました。
――芸能界入りして間もなく、『ピチレモン』で専属モデルデビュー。写真を撮られることは最初から抵抗ありませんでしたか?
デビュー前は人見知りが激しくて、人前で話すことが苦手で、あいさつもままならない状態でした。写真を撮られること以前に、「人前で何かをする」ことができなかったので、そこから考えるとお芝居や写真を撮られることも、それこそ「私でいいんだろうか」という不思議な気持ちで……。
今回、東京祐(あずま・きょうすけ)さんに撮って頂いたのですが、呼吸するように撮ってくださるので気取らずに自然体でいることができました。初めてご一緒させていただいて、近すぎず、遠すぎずの良い距離感で撮っていただけたことは、とてもありがたかったです。撮影クルーのみなさんも、私の好きな方ばかり。何も難しいことは考えず、家族旅行みたいな感じで、私にとってはご褒美のような時間でした。
■デビュー直後の挫折「悔しかった」
――デビューからの10年間は、上白石さんにとってどのような時間でしたか?
あっという間ですね。自分の性格的に1年後、3年後、5年後と先を見据えて動けるようなタイプではなくて。“今”を消化していって気づいたら、これだけの時間が経っていたという感じです。人前で話せない子だったので、そこからのスタート。そんな私が、『A-Studio』でサブMCを務めさせて頂くなんて、当時を知る人はビックリしていると思います(笑)。でも、昔から表現することは好きで、お芝居が好きというのもずっと変わらないところです。
――苦手なことにも果敢に挑戦して、今があるんですね。
小さい頃は、どちらかというと苦手なことから逃げるタイプでした。小学5年生でデビューして、普通では味わえないことを経験させてもらえたり、役の中で新しい感情に出会ったり、そういう中で自分が少しずつ成長していけるのが楽しかったです。
――最も大きな壁は?
デビューしてしばらくはオーディションも受からなくて。オーディションは巡り合わせともいいますが、それでも悔しかったし、自分の力不足を実感しました。そういう葛藤みたいなものがずっとあって、姉の活躍ぶりを羨ましく思ってしまうこともあって。でも姉は姉で、同じように思ってた時期もあったみたいですけどね(笑)。
――それがどのあたりで好転するようになったんですか?
いろいろな作品が分岐点になりましたが、最近では『義母と娘のブルース』(18・TBS系)が私にとって大きな作品となりました。街中で役名で呼んでもらえることはそれまでなくて、自分の名前で呼ばれるよりもうれしいんですよね(笑)。
――そこから、『3年A組』(日本テレビ系)、『いだてん』(NHK)と反響のある作品が続きましたね。
ここ2年くらいはとっても濃い日々で。大河では、役柄のために水泳のトレーニングをして、食事の量を増やしながら7kgぐらい体重を増やしたので結構大変でした(笑)。「死ぬ以外のことは何でもやる」と心に決めて、日サロにも行って。見た目から役柄にアプローチするのは初めての経験でしたが、『いだてん』を経験して役作りに対する考え方が変わりましたし、「できるところまでやりきる」という気持ちにもなれました。
■日本アカデミー賞新人俳優賞で母から思わぬ一言
――先程、デビュー間もない頃のお話をされていましたが、そういう不遇の時代の中で、心に残っている言葉はありますか?
何だろう……一番近くで母親がかけてくれた言葉はすごく励みになりました。とっても厳しい親ですが、愛情のある厳しさで。絶対に、私たち姉妹を見放したりしない。オーディションに落ち続けていた時も、「何事もご縁。それまでは自分を磨けばいい」と言ってくれましたし、今のように役を頂いている状況でも、「風向きが良い時、人は恩を忘れてしまうから、絶対に忘れてはいけない」と、いつも冷静でいてくれます。すごく鮮明に覚えているのが、第42回日本アカデミー賞の新人俳優賞を頂いた夜、「浮つかないように」とも言われました。もし自分が親の立場だったら、きっと興奮して寝られないはず(笑)。地に足をつけさせてくれる存在が近くにいて、本当にありがたいです。
――そうやって冷静に見守ってくださっているんですね。
母はもう辞めましたが両親共に教師で、まさか娘二人がこういう活動するなんて夢にも思ってなかったでしょうね。父の言葉で覚えているのが、「結局どの仕事も、苦しいのは同じ。みんな行き着く先は同じだから、悔いなく自分を捧げることができる仕事と巡り会えるといいね」。すごく、先生っぽい言葉ですね(笑)。心配だから束縛するのではなく、習い事も好きなことをやらせてもらえる環境にいたのは、本当にありがたいことだと思っています。両親も姉にも、感謝しかないです。
――ご家族は最近のご活躍を喜んでいらっしゃるでしょうね。
まだまだですが、これからも少しずつ恩返しをしていけたらと思います。このような写真集はなかなか出せるものではないですし、両親にもですが、今まで支えてくださって応援してくださった方々にも見てもらいたいと思います。
――そろそろお時間です。最後におうかがいしたいのが、「今年の目標」について。インスタグラムで、「主張と妥協」というテーマを掲げていましたが、どのような思いが込められているのでしょうか?
妥協は悪い意味じゃなくて、「一歩下がって受け入れる」みたいなニュアンスで考えていて。お仕事をする上で、10代は「受け身で頂いたお仕事を一生懸命こなす」みたいな感じでやってきたのですが、20代は「これが私はしたくて、こういうふうに考えています」というのをきちんと提示できるような人になりたくて。もちろん、そこには責任と自覚は必ず必要だと思います。それが私にとっての「二十歳になること」です。
■プロフィール
上白石萌歌
2000年2月28日生まれ。鹿児島県出身。2011年に第7回「東宝シンデレラ」オーディションでグランプリを受賞し芸能界デビュー。近年の出演に『義母と娘のブルース』(18・TBS)、『3年A組 -今から皆さんは、人質です-』(19・日テレ)、『いだてん~東京オリムピック噺~』(19・NHK)などのドラマ、映画は『羊と鋼の森』(18)、『3D彼女 リアルガール』(18)、『未来のミライ』(18)などがある。現在、テレビ東京系ドラマ『僕はどこから』が放送中で、6月には主演映画『子供はわかってあげない』の公開が控える。