「人生100年時代」と言われる現代。20代でも早いうちから資産形成を進めることが求められています。一方で、どのように投資・資産運用の目利き力を磨いていけばいいのか、悩んでいる方は多いのではないでしょうか。
この連載では、20代の頃から仮想通貨や海外不動産などに投資をし、現在はインドネシアのバリ島でデベロッパー事業を、日本では経営戦略・戦術に関するアドバイザーも行っている中島宏明氏が、投資・資産運用にまつわる知識や実体験、ノウハウ、業界で面白い取り組みをしている人をご紹介します。
今回のテーマは、「ゴールベース・アプローチのゴールポスト」です。
ゴールベース・アプローチとは
ゴールベース・アプローチは、個人やその家族の夢を実現するために、ゴールから逆算して必要な資金の確保やそのための投資、支出の見直しなどを行う資産運用・管理の考え方です。
資産形成を考える際は、
・海外旅行の資金のために
・子どもの教育費、留学費のために
・家や車の購入資金のために
・老後資金のために
など、具体的なゴールとその達成時期を設定して、どのくらいの資金がいつまでに必要で、どの程度のリスクを取るべきかを可視化します。ゴールの実現に向けて逆算して計画を立て、資産運用を実践する手法がゴールベース・アプローチです。
このゴールベース・アプローチは、1990年代半ばからアメリカで普及し始めた考え方と言われています。1980年代に入ってから、アメリカの年金制度が企業が給付に責任を持つ「確定給付年金(DB)」から、企業負担の少ない401kなどの「確定拠出年金(DC)」へとシフトし、退職後の年金資金の運用や資産取り崩しのタイミングなどを個人が決めていく必要性が生じてきたことが背景にあります。
そのため、金融機関は株式や投資信託などの金融商品の販売だけではなく、ライフプランニングを含む金融アドバイスやコンサルティングなど、資産管理に関わる総合的なサービスを提供するようになってきました。そこで生まれた資産管理の手法がゴールベース・アプローチです。
ゴールベース・アプローチの進め方
ゴールベース・アプローチは、以下のような流れで進めます。
①ゴールの設定
②ゴール実現に向けたプラン策定
③資産運用方法の選択と実行
④定期的な確認と見直し
①ゴールの設定
ゴールの設定では、例えば「家族で年に1回は海外に行きたい(予算150万円)」「子どもが高校からアメリカに留学したいと言ってきたときに、それを叶えてあげられる資金を用意しておきたい(想定年間2000万円)」「40歳までに都内のどこそこに家と土地を持ちたい(予算1億円)」「65歳までに純資産1億円を貯めておきたい」など、具体的な夢や目標と、そのときの年齢を明確化していきます。
②ゴール実現に向けたプラン策定
ゴール実現に向けたプラン策定では、ゴール実現までの期間や初期投資の金額、投資資金の原資の把握、現在の資産状況や収入の見通し、リスク許容度などを確認し、その情報を基にゴール実現への道筋を決めていきます。
③資産運用方法の選択と実行
資産運用方法の選択と実行では、プラン策定で可視化した情報を基に最適な資産配分や運用商品を決めていきます。
④定期的な確認と見直し
定期的な確認と見直しでは、想定した運用プランと現実にズレがないかを点検します。アメリカでは、アドバイザーが運用開始後もゴールの実現に向けて伴走し、継続的にアドバイスをしてくれるフォローアップ手法が普及しています。必要に応じて、資産配分や投資期間・金額などを見直すことが重要です。
ブレないゴールポストを持つ
ゴールベース・アプローチは、聞いてみると「そんなの当たり前のことだ」と感じる人もいるでしょう。しかし、知っているのと理解しているのと実行できるのとでは、全く違います。頭でわかっていても実行できないのが人間という生き物です。
ゴールベース・アプローチが重要だと頭ではわかっていても、値動きに一喜一憂する人の方が多いでしょう。ゴールの設定やプラン策定を飛ばして、資産運用方法の選択(どれが儲かるか)から始めてしまう人や、ゴールを決めていても価値観がブレてしまう人も多いです。
例えば、「人生で大切なのは、お金だけじゃない」と口では言っていても、実際にまとまったお金が入ってくると人が変わり、余計なリスクを取ってしまったり、つまらない投資勧誘に乗っかってしまったり、急に優雅そうな生活をしたり、以前は買わなかったようなものを買って浪費したりするものです。
もちろん、ゴールベース・アプローチの「ゴール」は、ライフステージの変化や環境の変化によって変更しても問題ないと思います。
私は二十歳の頃から生活レベルを変えていないのですが、ゴールベース・アプローチの「ゴールの設定」の前に重要になるのが、価値観や幸福観です。価値観や幸福観は、生まれ持った性格や育った環境、出会った人、出会った本や映画、音楽、絵画などによって形成されますが、一度その価値観や幸福観を言葉にしてみるのも良いでしょう。
私の場合、たまたま学生時代に「テキスト&エディトリアル」という講義の中でエッセイ・随筆、短編小説を書く機会がありました。講義の最初にその日のお題が出され、前半の90分で書いて、後半の90分で読み上げて寸評するという内容です。その日のお題は「自由」でした。以下は、二十歳の頃に書いた「僕の幸福観」というタイトルの短編です。
二十歳の頃に書いた「僕の幸福観」
ある朝、ガラス窓を濡らす雨音で僕は目を覚ました。ふと横に目をやると、妻と娘がまだ寝ている。気づかないくらいの静かな雨だ。薄暗い光の中、ふたりの寝顔を見ていると昨晩の会話を思い出した。そういえば、今日はどこかにお出かけしようと話していたっけ。雨が止んだとしても、公園は濡れているだろうし、雨が止まなければ行けるところも限られてくる。
どんなことを考えていると、二度寝できなくなってしまった。起こさないように静かにベッドから抜けて、キッチンの冷蔵庫を開けた。お出かけついでに買い物に行く予定だったので、食材もそれほどない。牛乳と卵はあるので、ホットケーキでもつくろうと思い立った。
ふたりを起してはかわいそうなので、なるべく音を立てないようにホットケーキづくりを始める。しばらくすると、妻が目をこすりながらキッチンに来た。「今日はずっと雨みたい。出かけられないだろうから、まだ寝てていいよ」と言うと、妻は軽くうなずいて寝室に戻った。
ホットケーキが焼けてくると、甘いにおいに誘われたのか、今度は娘が起きてきた。妻と同じように目をこすりながら、ホットケーキをジッと見ている。そういえば、最近うちの子は親と同じものを食べたがるようになった。僕は小さめのホットケーキを焼いた。
焼きあがったホットケーキと、普段より少しビターなコーヒーをテーブルに並べていると、妻も起きてきた。甘さと苦さが身に染みる、心地の良い朝だ。休日の雨、という不自由な存在が、僕に自由と幸福をくれた。