オーストラリアの上院が、16歳未満のSNS利用を禁止する法案を採決して可決したことが話題になっている。1年後に施行されるそうだ。
SNSでのいじめや、そこから事件に発展した性被害が多発していることを踏まえ、運営企業に対して16歳未満の子どもが接続できないようにすることを義務付けるというもので、世界でもっとも厳しい法律になるという。
当然、各方面からのつっこみも著しい。年齢確認の不確実性、VPNのような仮想ネットワークによる他国ユーザーへのなりすましなど、デジタル的に規制をかいくぐる手段は、ちょっと考えただけでもいっぱい出てくる。
個人的に何よりも心配なのは、見かけの上では規制にひっかからないもうひとつのソーシャル・ネットワークがダークウェブのようなものとして構築され、そこで大人の知らないコミュニケーションが始まってしまうことだ。
16歳なら、大人以上のITスキルでうまく機能するSNSを構築することだってできそうだ。それを援助する悪意の第三者がいたとしたらどうなるか。つまり、「大人の知らない」が保証されることがない。悪意をもつ大人が、そのシンSNSに君臨し、よからぬ方向に子どもたちを誘導することだってありうる。
子どものSNS禁止、その後の社会はどうなるか?
オーストラリアの人口は約2,600万人で日本の2割相当だ。その16歳未満の子どもたちからSNSを取り上げることで救われる命や被害がたくさんあるという論旨も理解はできる。
それは政府の大義名分なわけだが、この法律の施行によって、世代の未来がどのような影響を受け、これからの社会がどうなるかを示す実験のようなショーケースになるというのもどうかと思う。
それで得られるメリットも多いがデメリットも少なくないはずで、同国の将来にどのような影響を与えるのは未知数だ。こうした未知数が国の未来に影響を及ぼすことの是非は、他国においても活発に議論されているようだ。
見知らぬ人とのつながりのよい面悪い面
インターネットやネット対応携帯電話が一般市民の生活に浸透する前の子どもたちはどうだったのか。
仮に2000年頃の16歳は、今現在40歳くらいで、それを超える年齢層は社会的なつながりに対する規制はまったくなく大人になったといってもいい。つまり、不特定多数とのコミュニケーションに対して臆病になる必要はなかった。
個人的にも、親の知らないところで子どもの頃に知り合った当時の大人たちとのつながりによって、多岐にわたる教えをもらったと思っているが、今にして思えば、何も被害がなかったのは偶然にすぎないのかもしれない。
多くのコミュニケーションはリアルな対面だったが、アマチュア無線のようなオンライン的なコミュニケーションもあった。
今回の法律を成立させたのは、ほとんどがそんな大人たちだが、保護される側のこどもたちもその施行に絶望していたりするからやっかいだ。また、これが最適の解なのかどうかに対して半信半疑な大人たちも少なくない。
法律に違反すると罰せられるのは企業側
今回の規制が将来にわたって正しいのかどうか。それは誰にもわからない。
ただ、注目しておかなければならないのは、この法律に違反して罰せられるのはSNSを運営している企業の側で、違反した子どもたちには罰則がないということだ。
つまり、この法律のもとに、各企業は子どもが子どもであることを認証する完全に近い方法と、子どもに限らず大人も含めて社会的ないじめなどの現実から、彼らを守り、悪を覆い隠す完全な手段の提供を発明する必要がある。
それがITの次の進化につながるのならと考えれば、今回の施行も悪くはない試みかもしれない。