4月も中旬に入り、首都圏では桜のシーズンも終わろうとしている。春ということで街の様子にはちょっとだけ変化を感じる。スーツ姿にまだ慣れないフレッシュマンの姿を多く見かけるようになった。電車の中でパソコンを広げ、熱心にああでもないこうでもないと作業している様子もよく見る。
この20年、いや、東日本大震災が起きたあとくらいからだろうか。世の中は大きく変わった。また、2020年の新型コロナによる緊急事態宣言下の状況も世の中を大きく変えた。今年(2024年)のフレッシュマンはその両方の時期をリアルに体験してきた年代だ。
パソコン、インターネット、スマートフォン……、ほぼ四半世紀にわたるこの時期、これらの神器が世の中の新しい当たり前として浸透した。特にスマホの進化は著しいし、影響力も大きい。
NHKで18年ぶりに復活した番組「新プロジェクトX~挑戦者たち~」がスタートし、第2回目の放送ではカメラ付き携帯電話が取り上げられた。放送はIT業界でもけっこうな話題となっていた。やはり電話にカメラがついたというのはこの四半世紀では特筆すべき事件だった。
スマホがあれば何でもできる、ワケではない
新しい当たり前の装備としてスマホを手にした若い世代の人たちにお願いしたいのは、スマホがあれば何でもできるとは思わないでほしいということだ。
世の中の多くの大人たちは、そこで失敗して、ソンをしていることも少なくない。誤解を怖れずにいえば、もはやパソコンとスマホの違いは、画面のサイズくらいのもので、できることは大きく違わない。手のひらサイズのパソコンだ。だから、何でもできるはずだからと期待するのも無理はないし、実際、パソコンでできることのほとんどはスマホでもできる。
でも、モバイルというのはある種の妥協を人間に強いる。モビリティが高ければ高いほどそうだ。確かにスマホは手のひらサイズでポケットにいれて、いつでもどこでも携行できるし、各種のアプリも使えて、24時間365日、待ち受けを続けるコミュニケーションのための道具としても機能する。
モビリティを抑えると作業の効率が上がる
だが、ちょっとモビリティを抑えてみよう。ガマン、妥協は少なくてすむ。200グラムのスマホは軽くて手軽だが、重量1キロくらいの重さを受け入れることができれば、画面も大きく見やすいし、物理的なキーボードなどもついてきて入力の効率も高くなる。スマホで音声入力をすればスピードについては解決できるかもしれないが、画面サイズの大きさでは比較にならない。
ただ、200グラムと1キロでは持ち運びの際の気軽さが全然違う。それがモビリティだ。
今、平均的なノートパソコンの重量は1~1.5キロ程度だろうか。会社から貸与されるパソコンはもうちょっと重いものかもしれない。だからこそスマホに頼りたくなる。多くの場合、貸与されるデバイスはパソコンとスマホの両方かもしれない。パソコンも使うように強いる会社には、それなりの理由がある。やはり作業の効率が段違いなのだ。
PCとスマホの「いいとこどり」まではもう少し
ドコモの調査によれば携帯電話所有者の97%がスマホで、70代のシニア層でも90%を超えているそうだ。また、女性は若い世代ほど2台以上のスマホを所有している割合が高く、15-19歳では約2割が2台以上のスマホ(タブレット含む)を所有しているという。
今、フレッシュマンとして社会にデビューした世代は、まさにそのあたりの年代だ。パソコンよりもスマホという気持ちが強くなるのも無理はない。でも、スマホに外部ディスプレイをつなぎ、大きな画面を得たところで、ほとんどのスマホは表示が大きくなるだけだ。表示できる情報の量は増えない。少なくとも今のところはiPhoneを筆頭に、ほとんどのスマホがそんな感じだ。
その状況も、近い将来には、少しずつ変わっていく。たとえばスマホをテレビに接続し、大画面表示をしたときに、まるでパソコンのように使える機能が当たり前になれば、そのときこそがスマホだけでもなんとかなる世の中なのかもしれない。
でも、残念ながらそれはまだ当たり前じゃない。もう少しの辛抱だ。