非常事態宣言が全国で解除された。そうはいってもまだまだ安心というわけではなく、これまでと同様に三密を避けるといった防衛は必要で、第2波の到来による被害を最大限に回避することを考える必要がある。

  • 2019年2月に開催されたMWC 2019。2020年のMWCは新型コロナの影響でイベント自体が中止された

開催に向け試行錯誤するIT展示会

2020年もさまざまなイベントが世界中で予定されていたが、IT関連のイベントだけでも、2月のMWCがキャンセルになったのを皮切りに、キャンセルとはいかないまでも、多くがオンライン開催に移行している。直近ではMicrosoftの開発者向けイベントBuildがオンライン開催だったし、6月のアップルによるWorldwide Developers Conference 2020もオンライン開催(https://news.mynavi.jp/article/20200506-1031539/)の予定だ。Google I/Oはリアルもオンラインもなくキャンセルとなった。

その一方で、ドイツ・ベルリンで毎年開催されているIFAは招待客のみのイベントとしてリアル開催されることが表明されている。また、COMPUTEX台北は、9月末への延期が発表され、現時点ではリアルイベントが予定されているが、どうなることやら。

イベント自体のあり方を改めて考える

カンファレンスや展示会は、その参加者にとって、一カ所に赴くだけで、短時間で多くの情報を一気に入手できるというメリットがある。ただ、一部の著名ベンダーは、総合展示会への出展をやめ、プライベートイベントに徹する傾向もある。

オンラインイベントは、リアルイベントに比べて自由度が高い。参加者は移動を伴わずに、在宅でモニタの前に居座っているだけでいい。だが、オンラインイベントの主催者は、そのデジタルトランスフォーメーションに徹し切れていないようにも感じる。たとえば、オンラインイベントはライブである必要があるのかどうか。移動を伴わないのなら、時間も自由であっていいんじゃないかとも思う。つまり、ライブイベントとしてではなく、オンデマンドで好きな時間に好きなコンテンツを再生できればそれでいい。となれば、期間を区切ってイベントとしてコンテンツを限定公開する意味があるのかどうかも考えなければならない。

そういう意味では、イベントというコンテンツの存在意義も問われるようになる。展示物を手に取って体験できないオンラインイベントは、リアルイベントがもたらす情報コンテンツよりも価値が低いかもしれない。しかも開催日程が決まっているライブの場合は時間に制限がある。時差のことも考慮が必要だ。それに、文章なら10分で理解できる内容を30分かけて動画などで再生する必要があったりもする。

コロナショックを機に、オンラインイベント、オンライン発表会、オンライン記者会見などがポピュラーになったが、こうしたコンテンツのあり方を、今一度考えなければなるまい。

  • MWC 2019での一幕。IT関連のリアルイベント(展示会)では最新の技術が一堂に会するため、実際にモノを手にとって触れることが意義深い

  • こちらはコンピュータ関連見本市「COMPUTEX 2019」。2020年の開催は当初予定から延期され9月28日からとなっているが、どうなることだろう

バーチャルで体験する人が圧倒的に多い

ちなみにプロ野球や大相撲のようなイベントが無観客試合として開催され、オンラインになったとしても、それが正しく生中継、中継録画コンテンツの公開、ハイライトの報道といったことが行われれば、会場の興奮、手に汗握る迫力といった要素は期待できないかもしれないが、コンテンツとしては成立する。

たとえば東京ドームで野球の試合が開催された場合、興業として成立させれば、その動員数としては約46,000人が試合をみることができる。その一方で、テレビ中継で10%の視聴率を確保できれば1,000万人近い人がバーチャルな観客数となる。ドームでの観客数の200倍だ。

その数字は眉唾だったとしても野球は野球場で見る人よりも、テレビなどでコンテンツとして楽しむ人の方が圧倒的に多いことは確かだ。夜のスポーツニュースや試合翌日のスポーツ紙の記事で野球を楽しむというのもある。

極端な話、野球の試合というコンテンツをリアルなイベントとして体験しているのはわずか5万人に満たないということで、ほとんどの人々は、バーチャルなイベントとしてしか体験していないことになる。

もっとも試合は選手だけが作るものではない。観客も立派なプレイヤーだ。これは、芸術の分野でもいえる。コンサートや演劇などは観客なしでは成立しないという考え方も理解できる。それでも今後はこれらのコンテンツのあり方を変えざるをえなくなる可能性もある。

「リアル」にどんな意味を見出すのか

音楽でいえば、もともとは目の前での生演奏でしか聴けないものだった。テレビやラジオ、レコードなどの登場以前の話だ。その生演奏もPAシステム(Public Address、音声拡散装置)のおかげで、肉声が届かない大会場で何万人もの相手に届けることができるようになり、さらに演奏の録音/録画による複製や放送によって、遠く離れたところにいる人にも届けることができるようになった。

その一方で、無観客での演奏と観客ありの演奏は違う。これはスタジオ録音の楽曲と、そのライブ演奏を聴き比べてみればわかる。それは別物といってもよく、好き嫌いは好みに依存するが、お気に入りのアーティストの演奏を、たとえ豆粒くらいの大きさにしか見えない遠くのステージで、PAによる拡声だったとしても生で見たいというファンは一定数いる。

これらのバランスが絶妙にとれて成立していたのがコロナ以前の世界観だ。そこをどう変えていくのか。あるいは変えなくてもいいのか。目の前での生演奏が当たり前だった音楽が、PAや複製技術によって新たなビジネスチャンスを見いだしたように、次の時代のことを考える必要がある。

(山田祥平 http://twitter.com/syohei/ @syohei)