Googleがアンビエントコンピューティングという考え方を強くアピールし始めた。これまでのコンピューティングは、コンピュータやスマホを持ち歩くことで、そこに集積された情報を操る方向での利用が主体だったが、これからのコンピューティングは人間が存在する周辺空間そのものとの対話を目指すという考え方だ。
Windows 95の起動音はアンビエント
アンビエントというのは「環境」と訳されることが多い。それですぐに思いつくのがアンビエント・ミュージックというと、年がばれてしまうけれど、アンビエント・ミュージックは1970年代の終わり頃に、ミュージシャンのブライアン・イーノが提唱したことで知られている。演奏する相手と正面から向き合って音楽を聴く行為からの解放がそのコンセプトともいわれる。まさに、Googleのいうそれだ。ちなみに、このブライアン・イーノは、Windows 95の起動音の作曲者でもあるが、そんなものは覚えていないし知らないという方も少なくないかもしれない。ちょっと検索すればすぐに聴けるのでチェックしてみてほしい。ああ、これが環境音楽かというサンプルのような見事なサウンドだ。
ある人にとってはパソコン、ある人にとってはスマホは、自分の個人情報が集まるハブ的存在だ。そして、それを扱うことがコンピューティングだと思い込んでいる。でも、アンビエントコンピューティングはそうじゃない。各種のデバイスは、コンピュータとの対話をするための道具にすぎず、コンピュータそのものはネットワークの向こう側にあるし、情報を集積するストレージも、ネットワークのあちこちに分散している。
先日の台風で、被災された方々には、心からお見舞い申し上げたい。その上で考えるのが、クラウドサービスの受け入れ方の変化によって、少なくとも、近年のデジタル的なデータは失わずに済んだというケースは少なくなかったのではないだろうか、ということだ。もちろん、クラウドサービスが一般に浸透したのはここ10年くらいの話なので、少なくとも2010年頃以前の大事な宝物は物理的な被害に遭って失われたものも多かったかもしれない。東日本大震災が起こったのは2011年なので、それ以降、危機感からくる潜在意識の中で、クラウド利用のシフトが始まったといってもいい。
環境コンピュータの在り方
アンビエントコンピューティングを考えるときに大事なことは、環境としてのコンピュータが誰のいうことをきくのかということだ。ハブ、あるいはホストとしてのコンピュータは、認証によって持ち主のいいなりになるが、環境そのものがコンピュータとして機能し始めたとき、その環境の中に身を置く人間が自分一人であるとは限らない。自宅であったとしても、家族がいたりもするわけだ。
Google NestやAmazon Echoのようなスマートスピーカー的デバイスは、アンビエントコンピューティングをかなえるための重要なキーデバイスだが、誰の言うことをきくのかという問題については、まだ解決できてはいない。人間の数だけスピーカーを置くというのも馬鹿げている。話者判別で返すレスポンスが異なるようなことまではできているのだから、それをもっとフレキシブルなものに発展させていくことができてほしいと思う。
たとえば、夫婦で暮らす部屋にスマートスピーカーがあったとして、音楽をかけてほしいといったときに、夫が呼びかけたときと、妻が呼びかけたとき、二人でいるとき、一人しかいないときでは別のレスポンスを期待したいのだ。Googleの検索結果でさえ、同じキーワードを入れても、アカウントごとに結果は異なるのだから。
個人と空間の距離感を縮める
今回、Googleが新型のGoogle Nest miniを出すにあたって、底面に壁掛け用の穴を用意したことをアピールしていた。普通、壁に掛けることくらい想像できそうなものだが、初代のminiの開発時には、デザイナー側はそんなニーズがあるとは考えもしなかったのだという。そのくらいデバイスを提供する側と使う側との間にはギャップがあるといえそうだ。
もっとも、クラウドサービスそのもののファミリー利用は、まだ、まったく整備されていない。Googleのファミリーライブラリなどの工夫は評価したいが、個人が持つ個々のアカウントを束ねるファミリーアカウントは、単なる団体割引にすぎないことが多い。もちろん、その背景にはサービスプロバイダーだけではなく、コンテンツプロバイダー側の事情もある。
このあたりの問題を、どのように解決していくのか。パーソナルとアンビエントの間の距離感を解消するにはまだ少し時間がかかりそうだ。
(山田祥平 http://twitter.com/syohei/ @syohei)