今では日本におけるトップバリスタとして活躍中の門脇さん。前回は、そんな門脇さんが「CAFE ROSSO」をオープンするまでの話をした。今回は国内の競技会への出場、そして世界への挑戦にいたるまでに話をお伝えしよう。

島根・安来のカフェ「CAFE ROSSO」オーナーバリスタの門脇洋之さん。1973年島根県生まれ

日本一から世界へ

理想とする味を見つけ、「CAFE ROSSO」をオープンしたのは1999年6月のこと。店舗一角にロースター室を設け、自家焙煎のカフェにした。試行錯誤を重ねながら徐々にエスプレッソの味をつくりあげていった門脇さんは2001年、バリスタの国内大会「全日本バリスタチャンピオン競技大会」(後に「ジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ」に改称)第1回大会に出場した。

「力試しの意味合いもあったけれど、『今ならいけるかな』という思いもあった」と当時を振り返る。結果は優勝。現在は「ジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ」で優勝すると、世界大会である「ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ」(以下、WBC)への出場権が得られるシステムとなっている。しかしそれは2002年大会からのこと。すでにWBCは2000年から開催されていたのだが、この時の門脇さんはWBCへの出場を果たせなかった。

そして2003年大会。再びチャンピオンになった門脇さんは、WBCに初出場。念願叶っての出場だったが、予選にて、オーストラリア代表のポール・バゼットバリスタのエスプレッソを飲んで衝撃を受けた。「自分には到底追いつけない次元に彼が到達しているのだと分かりました」。結果は7位。ポール・バゼットさんはこの大会でチャンピオンとなった。

2004年にポール・バゼットさんが来日した際、その技術を披露したのだそう。そこから、さらなる研究の日々が続いた

この後は、バゼットさんの味をベースにしつつ、オリジナルのアレンジを加えて、味をつくり込んでいった。2004年の国内大会では準優勝に終わるが、2005年大会では再び1位に返り咲く。そして、同大会での準優勝が横山千尋さん。かつて、"イタリアのエスプレッソ"を学んだ横山さんをおさえての優勝だった。満を持して出場したWBCでは、日本人最高順位の2位という快挙を成し遂げた。

世界大会で準優勝となった後は、これまで以上にマスコミからの取材が増え、県外からの来店客も多くなったという。前編で触れたように、コンビニエンスストアで門脇さん監修のコーヒーが発売となり、セミナー講師のオファーも来るようになった。自らが著者となった技術本も出版された。バリスタとして確固たる地位を築いた今、門脇さんの目標はどのようなものなのだろうか。

トップバリスタが次に目指すもの

「世界最大のコーヒー豆生産地であるブラジルに行きたいんです。産地で生豆(焙煎する前のコーヒー豆)を自分の目で選んで、自分の手で焙煎をして。今はバリスタではなく、ロースターに気持ちが向いています」。コーヒー豆の産地では、カッピング※で豆の評価を行う。しかし、お客はカッピングをするわけではない。エスプレッソを飲むのだ。「やはり、カッピングとエスプレッソで感じる味は違うと思います。なので、エスプレッソに適した、エスプレッソ専用の豆を選びたい」。

1杯分のコーヒー粉を詰めた「ドリップバッグ」を開発。湯を注ぐだけで楽しめる手軽さが魅力。店売りだけではなく、通信販売もしている

※カッピング
コーヒー豆を挽いた粉に湯を注ぎ、上澄み液を霧状にして吸い込むテイスティング方法

もともと、抽出だけではなく、自家焙煎もしていた門脇さん。焙煎をしていたからこそ、このようにどんどん世界が広がっていく。自分の選んだ豆を自分の手で焙煎し、競技会のルールに縛られない自分なりの方法でエスプレッソを抽出する。これが今の門脇さんにとっての目標になっているのだ。

「CAFE ROSSO」店内と店内から見える汽水湖。ここから次はどんなエスプレッソが誕生するのだろうか。非常に楽しみである