海開きも済んだが、皆さんは今年の夏海に行く予定があるだろうか。私はない、海以前に夏の予定がゼロだ、強いていうなら「部屋から出ない」で秋の予定も「部屋から出ない」だ。

もうこれから先、東京湾以外の海には行くことはないだろうし、東京湾に行くとしても自らの意志ではないような気がする。

前に海に遊びに行ったのはもう10年以上前になる。

むしろ成人してから海に行ったことがある、ということの方が驚きだが、それも当時カレシであった夫同伴で、ミクシィで知り合った仲間とバスを借り切って、角島に行くという「彼氏と仲間と海」という、これ以上ないリア充3連星であった。

当時20代前半だった私は、思春期の「普通と違う女になりたくて普通以下になる」という時期を越え、その反動で「人並みに思われたいコンプレックス」が炸裂していたのだと思う。

よってこの時期は「リア充っぽいこと」を色々やってみたような気がする、だがこの時期も無駄ではなかった、リア充っぽいことをやってみた上で「楽しくねえ」とわかったからである。

リア充っぽい遊びがダメというわけではない「私には合わない」ということだ。この経験がなかったら、未だに夏海に行くリア充をうらやんでいただろうし、ステイサムが戦ったような巨大サメに食われねえかなとも思っただろう。

私が依然、制服デートカップルがサミュエル・L・ジャクソンみてえに後ろからサメに食われねえかなと思うのは「やったことがない」上に「これからやることができない」からだ。

つまり私はサメさんに期待しすぎなのだが、少しでもサメさんの負担を減らすためには「若気の至り」というカードが切れる内にいろいろ経験してみて「こいつサメに食われねえかな」と思うシーンを減らすしかない。

海に行った結果、もう海に行くことはないだろう決まった私だが、夏の海は楽しい、楽しくない以前に、娯楽として難易度が高い。

まず、海にかぎらず「水着」という装備品の難易度が高い、「ロト装備」とか「天空装備」と同じで、いきなり装備できるものではないのだ。

日本でも、ファッションは他人の目を気にすることなく自分の着たいものを着るべきという考えになってきてはいるが、水着はまだその域に達していないような気がする。

欧米に行くと、スリーサイズオール100だろうが、70歳児だろうが「俺が着たいから着る」というスタンスでみんなビキニを着ているが、日本では未だに選ばれし者しか装備できない感がある。

よって、装備するためには入念な準備がいる、ダイエットに成功したからと言って当日まで気が抜けない、人間の体は秒単位で色んなものが生えるようになっている、ボディがわがままなのは良いが、毛まで自由奔放なのは許されない。

水着というのは開放的なようで、すさまじくタイトなのである。

さらに、自慢のボディを持っていても、何の対策もなしにそれをさらけ出すのは自殺行為に等しい、夏の海を舐めるのは冬の八甲田を舐めるのと同じである。

夏の海では肌など極力出さないほうがいいのだ、出す場合は全身に強い日焼け止めを塗る必要がある、それも一か所でも塗り忘れたら、耳に経を書き忘れた耳なし芳一状態になる。そうなると「出来るだけ身体が何かに触れている面積を減らす生活」が1週間ぐらい続いてしまう。

また、海は水着を着用する場所の中でもさらに難易度が高い。

まず、塩水である、全身を塩水につける、というのはもしかしなくても爽快感ゼロだ。見る分には良いが、入るとなると相当な修行僧スピリッツがいる。

さらに、出た後も、有名な海になると、圧倒的にシャワー、着替える場所が足りない、最悪全身に塩をまぶしたまま帰路につかなければならないのだ、漬物になりてえ、という目標がなければ避けたい状態である。

つまり、海は夏の遊びの中でも相当「我慢」が必要な部類に入る。

「オシャレは我慢」ともいうし、リア充というのは、努力、忍耐力、計画性がないととてもなれそうにない。それらを放棄して、ただ「リア充爆発しろ」と言っている我々が非リア充なのも頷ける。

しかし、リア充の人たちが、本当は我慢しているだけで海を楽しんでいないかと言うと、多分そんなことはないのだろう。

強すぎる日差しも、ベトつく体も、海中でなんか掴んだら魚の死骸だったというアクシデントも仲間(ファミリー)さえいれば彼らは本当に楽しいのだと思う。

つまり海を楽しむのには海を楽しむ才能がいるのだ。その才能がない者が、海に行って楽しいわけがないのである。

しかしそういう者でも、炎天下の中長蛇の列に並んで、DS(ドスケベブック)を買うという娯楽を楽しむ才能には恵まれていたりする。

才能というのは、勉強や運動だけではない、「楽しむ」という行為にも圧倒的「才能の差」があるのである。

例えば「労働」とかなら、いくら才能がなくても、やらなくてはいけない場合があるが、趣味では無理にすることはない。

私は、楽しむ才能のない海へ行くよりも、天才的才能を持っている「部屋」にいることを選ぶ。

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。