今回のテーマは「寿司」である。回転寿司は好きである、しかし、選ぶのはサーモンの炙りにマヨネーズをかけた物などまだマシな方で、あとはコーンやハンバーグが乗った奴を食っている。つまり「SUSHI」は好きだが「寿司」はそんなに好きではないのだ。

だが心配しなくても、エビフライやアルフォルニアを巻いたやつが出てこない、正規の寿司屋に行く機会は全くない。もし連れて行ってくれる人がいたとしても「じゃあ同額の焼肉にしようぜ」と言うと思う、基本的に生の魚の死骸がそんなに得意ではなく、火を通した牛の死骸の方が好きなのだ。

このように外で食べるとしたら大体握り寿司だが、家でも握るというご家庭は少数だろう。うちでも寿司と言ったら、手巻き寿司、そしてちらし寿司だった。

子どもの時、手巻き寿司と言ったら「プチ祭」である。好きな具材を自分で選び、さらに自分で巻くという楽しさ、手巻き寿司の日はテンション上がりすぎて、逆に吐いたりしていたのではないだろうか。

しかし、いつの日かうちでは手巻き寿司をしなくなった。いつ、しなくなったのかは定かではないが、おそらく「子どもの可愛げがなくなった」時点で終わったのではないだろうか。

手巻き寿司、というのは各自で巻く分手間がかからないように見えて、結構面倒な気がするし、まず、いろんな具材をそろえなければいけないので、コスパも悪そうだ。

河童一家のように、具がキュウリだけでいいなら良いが、それでは子どもは喜ばない、どれにしようかな、と選ぶのが楽しすぎて吐くぐらい種類が必要なのである。

そんな面倒で金のかかるメニューを出すのは一重に、子どもが盛り上がるからだろう、よって子どもがシラけたツラをするようになったらやる意味がない。

さらに、飯を食う時間が各自バラけて来たのも一因だ、鍋なら1人もありだが、手巻き寿司(ソロ)というのはあまり見かけない。

このように、手巻き寿司をはじめ「一堂に会して食うことに意義がある」メニューはだんだん出てこなくなった我が家だが、ちらし寿司の方は引き続きよく出てきていた。

むしろ「何かと言うとちらし寿司」であり、私が結婚し家を出た後でも、実家に帰ると必ず土産にちらし寿司を持たされた。

しかし、今はもう、ちらし寿司は出てこない。

作っていた母方のババア殿の具合が芳しくないからだ。

外で働く母の代わりに、家事と4歳から精神が成長しなくなった孫の世話を一手に担っていたババア殿だが、既に米寿を越え、1日をベッドで過ごすことが多くなってしまったのだ。

先の母の日に、母の日用のプレゼントと固形物が食えないババア殿の為にシュークリームを持参し実家に帰った。

その時私はまだ「近々無職になる」ということを実家に伝えていなかった。未だかつて親に対して「いい意味でサプライズ」をしたことがない。

重い足取りで、実家に入ると、いつものベッドにババア殿がいない。聞くと入院したそうだ。

サプライズである。

私も「言わない」が実家側も相当「言わない」。

しかも入院2回目らしい、この調子だと死んでも言わないのではないだろうか。これに比べれば私の無職など些末なことである、親も「まあいいんじゃない」程度のリアクションだった。

その後、母たちと一緒にババア殿の見舞いに行ったのだが、病室というロケーションに病院服という衣装は、人をこれ以上なく病人に見せる。スパンコールぐらい着せるべきだ。退院はもうすぐらしいが、家に戻ってもほとんど寝たきりになってしまうのではないか、と思わせる姿だった。

そして約一か月後、父の日に実家に戻ると、またババア殿はベッドにいなかった。今回は入院したわけでも、死んだわけでもない。ソファに座っていた。

何か、前より元気になったらしい。

横になっていることが多かったババア殿が退院後、退院後座ったり歩いたりすることが増えたそうだ。母曰く「入院中毎日点滴を打ったからではないか」とのことである。やはり「打つ」に勝ることはない。私もピンチになった時は「何か打とう」と心に誓った。

もちろん、またちらし寿司を作れるほど元気になったわけではない、だがそれはもういいのだ。 正直、ちらし寿司、そんなに好きじゃなかった。

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。