今回のテーマは「初めての給料日」である。初めて、外で働いて得た給料となると、高校生の時にした郵便局のバイトになる。所謂年賀状を配るバイトだ、私の通っていた高校はアルバイト禁止であったが、これだけは許されていた。

私は、金がなかった。今もないが高校生の時は特になかった。何せ月の小遣いが2,000円だった。しかし、アルバイトは禁止である。これで学校帰りにマックやカラオケに誘ってくれるような友人がいたら、つきあうことが出来ず村八分、もしくは金欲しさに援助交際的な犯罪に手を染めていたかもしれない。

これを考えると、私は「友達がいない」ことで相当命を救われているような気がしてならない。万が一友達がいたら、今頃前科12犯ぐらいになっていたのではないか、友達がいなくて本当に良かった。

よってこの郵便局バイトは合法で現ナマを手に入れる貴重な機会だったため、志願した。バイト内容は、民間バイトに比べれば相当緩かったが、冬休みは、1月2日以外はほぼそのバイトに費やされた。それで得られたバイト代は確か4万円ぐらいだったと思う。さらに正月でお年玉も得ていた。つまり石油王と名乗ってもゆるされ富豪である。

お年玉と言えば「預かっておく」という名目の元、親に巻き上げられる、でおなじみのものなので、その年もきっちり押さえられたと思う。

ちなみに前にも言ったが、そのお年玉は本当に預かられており、家を出る時渡された。我が親ながら「真面目かよ…」と少し引いた。

しかし、バイト代の方は、自ら働いて得たものだけに、親もノータッチだった。自由に使っていい4万という大金を手にしたのはおそらく生まれて初めてである。

今までの私なら、毎日甘いパンを食べていたら、300円ぐらいになっていた、という展開になっただろう、むしろ今でもそういう展開がよく起こる、俺の人生のシナリオライターはどうかしている、しかしこの時は違った。

私はその時すでに、人生を変える出会いをしていたのだ。

そう「インターネッツ」だ。

多くの若者の人生を狂わせた、しかしネットで狂うような奴は、どの道何かで狂っている―― でおなみじみのインターネッツさんだ。

私はその時、すでに、推しキャラの斜め45度バストアップの絵を描くのが生きがいのクソキモオタだったわけだが、絵を描く情熱はその時の方があったと思う。

よって、インターネッツで初めて、コンピューターグラフィックで描かれたイラストを見て「おでもこれかきたい」と強く思ったのである。

PCは親が買ったものあった、しかし絵を描く環境はもちろんない。あるのはマウスとペイントだ、これで作るコンピューターグラフィックはマリオペイントと大差ない。

マリペさんをディスるんじゃねえという声が聞こえてきそうだが、高校生のいうことなので許してほしい。

調べたところによると(当然ネットで)パソコンで絵を描くには、まずソフトがいることがわかった。

作画はペンタブレットを使っているものもいるが、スキャナでアナログ絵を取り込み、マウスで色を塗っている者もいる、とわかったので、私は、ペイントソフトとスキャナをそのバイト代で購入したのだ。

私は昔から、金の使い方を親から注意される子どもだった。とにかくこらえ性がない、貯める、ということを知らぬ、くだらない物を買って、いざ本当に欲しい物ができた時には金がない、そんな子どもだった。

だった。と言っているがそれは嘘だ。今も、大して欲しいキャラがいない時にガチャを無駄回しして、ド本命が来た時に金がない、そういう大人だ。

だがその時だけは、親に「いい使い方だ」と言われたような気がする。その後、その機器を用いて開設したホームページを更新するのに命をかけはじめたため、親的には「悪い買い物」になったかもしれないが、あの時の買い物が全て今につながっていると思えば決して悪くはないだろう。

このように浪費というのは「何かにつながっている」ことにしてしまえば無駄ではないのである

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。