今回のテーマは「社会人の一人暮らし」だ。
私自身は何度も言っている通り一人暮らしをしたことがないが、この春、一人暮らしを始める新社会人も多いのではないだろうか。
すごい(すごい)
そういう人に対してはこの感想しかない。
まず新社会人として仕事に慣れるだけでも大変なのに、いきなり家賃や水道光熱費など、命に関わる部分が、全て自分にかかってくるのである。
しかも、実家には「母ちゃん」などの妖精がいるため、寝ている間に、掃除や洗濯をしていてくれたが、一人暮らしの家にはそういうUMAはいないため、全て自分でやらなければいけない。
それを学校出たての二十歳やそこらがやるというのは本当にすごい。
もちろん生活能力というのは年齢関係ないので、例え十代でも全てこなしている人はいるし、方や、還暦すぎても、パチ屋とATM(銀行じゃない方)の反復横飛び、借りた金は家賃を払うのではなく「パチで増やしてから家賃を払う」ために使い、永遠に「妖精がやってくれるの待ち」をして、行政や特殊清掃員の世話になる御仁もいらっしゃる。
私は明らかに後者なので、やはり実家の家族や夫には感謝せねばならぬと思っている。
一人暮らしというのは、誰かと暮らすよりさらに己を律するのが難しくなるという。
まず、服を着なくてよくなるのだから、いきなり人間からゴリラになることも十分あり得る。
辛うじて服を着るという文明を維持していても、誰も見ていないのだから、中学時代のジャージや、昔はまったバンドのライブTを着てしまったりするだろう。
「誰も見ていないのに、誰かに見られているような、キチンとした格好をする」というのは相当な自制心がいるのではないか。
金銭面においては、自分一人なら「夏場なら1ヶ月は電気止められてもイケる」「水はギリギリまで止められない」という生活の知恵で乗り切るかもしれないが、同居人がいたらライフラインぐらいは死守しようと思うかもしれない。
そういえば、私も、服は着ている。
着ているものは、己のキャラクターがプリントされたTシャツなど、中学ジャージやライブTに匹敵する代物だが、裸はもちろん下着にすらなることがない。
また、便所の使い方は「途中で敵に襲われたのか?」というぐらい汚いが、夫の前で屁はしない。
屁に関しては完全に「機を逃した」という感じがする。屁のし時を逃したまま今に至り、今更こくわけにもいかぬ、という状況だ。
これに関しては「夫がしない」ことが大きい、そういえば、未だに夫の屁を聞いたことがない気がする、むしろ私の方が1、2回誤爆している。
しかしそういった誤爆こそが起爆となり、お互いフリー放屁になっていくもののような気がするが、夫の場合私の誤爆を受けても全く迎撃せず、未だにノー放屁を貫いているので、こちらが勝手にフリースタイルになるわけにもいかず、私も夫の前では今でもしないようにしている。
よって、今でも十分ゴリラのような生活をしている私だが、夫の存在によりまだ「抑えられている」ということなのだと思う。
こういった、家族の存在を多少なりとも意識して生活している者は「ビジネスホテルでテンションが上がる」という傾向があるような気がする。
もう、部屋に入った瞬間、沢田研二の「勝手にしやがれ」のイントロが流れて、「今日はここで、朝までワンマンショーだ」となってしまう。
私は自宅に自室があり、ほぼそこで一人でいるので、似たようなものな気がするが、気分が全然違うのだ。
別にそこで、違法な煙を吸うとかではなく、パンイチになったり、ドア開けっ放しで用を足すぐらいの、地味なショーなのだが、やはりそういうことは自宅ではできないので、謎の開放感がある。
そして、ビジホでテンションが上がるのは、あの狭さが重要な気がする。
逆に一戸建てで一人暮らしでも全裸で生活はしない気がする、全裸で部屋を移動したり階段を上り下りするのは「不安」である。
逆に1室しかないことが「全裸でも大丈夫」という謎の安心感を与えている気がする、また、ビジホだと宅急便などの急な来訪の心配もない。
それを考えると、例え自分に全て責任があろうとも、全裸で屁こきほうだいな一人暮らしには得がたい価値があるように思える。
※2018/4/11 18:30更新
連載「カレー沢薫のほがらか家庭生活」の更新におきまして」第85回の更新におきまして、2018/04/11 17:30公開時点で別回の原稿が掲載されていました。18:30に正しい原稿に差し替えました。ご迷惑をお掛けした読者の皆様、ならびに関係各位に深くお詫び申し上げます。