今回のテーマは「新生活」である。しかし、四月から何かはじまる、というのは新社会人ぐらいで終わりなのではないだろうか。子どもがいれば、子どもと一緒にもう一巡することになるだろうが、中年単体には四月だからと言って何も起こらない。

むしろこれ以降「新生活」が始まるとしたら、百発百中悪い意味でだ。「家のローンが払えなくなった」「離婚」「夫が死んだ」「自分が死んだ」この4択ぐらいしかない、4番目以外は悪い意味である。

一発当てて、アムステルダムやインドに移住というケースもワンチャンあるかもしれないが、望みはかなり薄い。ちなみに場所のチョイスに他意はない。ともかく一寸先は闇なので、そういう明るい要素がない新生活がいつはじまってもおかしくない。

実は当方独り暮らしをしたことがない、そして、したことがないおかげで、今人間として生きていると言える。そうでなければ今頃、ジャングルでゴリラに「もっと木の枝片づけろ」と説教されながら暮らしている。これから先、1人暮らしをすることがあったら、確実に「特殊清掃員の仕事を紹介する動画に出てくる部屋」になる。

このコラムは、ほがらか家族コラムと言いながら、孤独死の話が家族の話より出てくることに定評がある。よって今回も家族より、孤独死の話をするが、たまに上記のような動画で、孤独死した人の部屋が出てくるが、どれも大体、汚部屋である。

それを見た人は、こんな汚い部屋で一人で暮らして亡くなって、哀れだ、という感想を抱くかもしれない。だが、将来そういう部屋で孤独死する自分の名誉のために言わせてもらうが、部屋が汚いことは別に可哀想じゃない。むしろ快適さを追求した結果そうなっているのだから「暮らし向きは良かったんだな」と思ってほしい。

汚部屋にも、耳クソと同じように、ドライ&ウエットがある。主が収集癖あって片づけられない派だと古雑誌などを積み重ねるドライになり、ただのものぐさだと食事の後、食器や容器などをそのまま床に放置するウエットになる。

おそらく片づけられる人は、片づけられない奴に対し、常にこういう疑問を抱いているだろう。「何故、食器を流し、ゴミをゴミ箱、脱いだ物を洗濯機に入れないのか」と。片づけられない奴の「とりあえずそこに置く力」の強さに常に、疑問と苛立ち、恐怖を感じていることだろう。

だがそういう人は気づいていないのだ、ゴミ箱も洗濯機も「遠い」ということに。ゴミ箱や洗濯機が二駅先にある、というわけではない。ただ「とりあえずそこに置く」の「そこ」よりは確実に遠いのだ。つまり「最短ルートを選んでいる」のだ、時短術と言っても過言ではない。

それに、とりあえずそこに置かない人は知らないかもしれないが、とりあえずそこに置く、という行為は快感なのだ。片づけられない奴も、一瞬は脱いだ服を洗濯機に入れねば、と思うのである、だが次の瞬間脳内が「めんどうくさい」という感情に支配される。

あまり深刻に思われていないが「めんどうくさい」という感情は非常に厄介なものである、何をするにも必要な「意欲」に影響する。だがその厄介な感情が「とりあえずそこに置く」ことで一瞬に消えるのだ、この快感は、物を正しい位置に置いている人間にはわからない。

つまり、汚部屋というのは自らの快楽を優先した結果であり、むしろ汚ければ汚いほど、己の心に忠実に生きていたと言って良い、我が人生に一片の悔いなしだ

よって今後私が、汚部屋で孤独死したとしても、部屋が汚い、という点に関してだけは同情してくれるな。

「やりとげやがった」

そう思っていただきたい。

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。