今回のテーマは「年末」だ。ところで、漫画界には長年、漫画家側から見れば「悪しき」とされている因習がある。例えば、漫画というのはまずネームという、ストーリーと大まかな絵が入った草案を編集部に提出し、それにOKが出て初めて作画、掲載となる。
ラフとは言えそれなりに労力はかかっているし、全没になったり何回もリテイクが入ることもある。その上、結局OKが出ずに掲載見送りになることすらままあるのだ。そうなると、ネームの段階では原稿料は一切発生しないので、作家はただ時間を空費しただけになってしまう。
また、連載が始まっても、単行本やアンケートの結果で即打ち切りが決まってしまう場合がある。しかし、スロースターターな作品だってあるのだ。「もう少し様子を見てくれてもいいんじゃないか」という意見も多い。
双方、何度も問題提起され議論されてきた。もちろん、編集部側にだって言い分はあるあるだろう。だが、俺がムカついているのはそんな壮大な話ではない。もっとチャチな話だ。
目次コメント、欄外コメント、なんだあいつは。目次、欄外コメントとは、雑誌の欄外や目次に作者の近況や一問一答などが書いてあるやつである。あれが苦痛で仕方がない。「料金が発生しないから嫌」とか、そんな低い話ではない。もはや金を払ってでも、バックれたいレベルだ。
なぜ嫌かというと、何も思い浮かばないからだ。気の利いたコメントが思い浮かばないを超えて、切れ目の入っていないカステラ1本を大所帯のオフィスに贈呈するぐらいの気の効かないコメントすら、思いつかぬのだ。
近況というのは、最近あったことだ。しかし、考えてみてほしい。私はここ数年、ほぼ365日、エゴサ、仕事、ソシャゲ、寝る、エゴサしかしてないのだ。そんなやつに、週一で「なんかあった? 」と聞きにくるというのは、1日1回決まった時間に無言電話をかけて、相手を精神的に追い詰めるのと全く同じである。まさに鬼の所業。
生活が全く同じなら、近況も同じである。よって、9回ぐらい連続で目次コメントを同じにしてやったことがあるのだが、10回目ぐらいで「そろそろ変えてください」と言われた。
ふざけるな。近況を変えろというのは「生活を変えろ」ということである。いいのか。私が生活を変えて、原稿とか締め切りとか無視して、アマゾン(通販じゃないとこ)とか行っていいのか。それなら新しい近況もクソほどできるだろう。ただ、原稿も載らないだろうから、目次コメントも不要だ。
締め切りを、お前らんとこの締め切りを守るために、毎日毎日同じことをしているのに、あいつらは、毎週毎週「なんかあった? 」と聞きにくるし、「先週と同じっす」と言ったら「変えろよ」だ。お前を"チェスト関ヶ原"して近況にしてやろうか。
質問形式のコメントならマシだろうと思うかもしれないが、私と言う人間はそもそも、空洞、からっぽ、薄っぺら、虚無、なのである。まともに答えられる質問は10個に1個ぐらいで、大体が「特にない」になるのだ。
よって、本当は毎回「特にない」にしたいのだが、「何か書いてください」と言われるのが目に見えているし、斜に構えていると思われるのも避けたい。しかし、者ども、虚無に向かって「何かあるだろ」はないだろう。そんなの、カツアゲ不良が「持ってんだろう?」と、本当に何も持ってないやつを延々ジャンプさせているようなものだ。
欄外、目次のコメント、読者の皆さまは流し読みしたり、そもそも読んでなかったりするだろう。しかし、あそこには何も持ってないやつを週一でボコるという、圧倒的暴力が潜んでいるということを覚えてほしい。
「年末」というテーマが無視されているが、なんでこんな話をしだしたかというと、年末になるともうひとつ、漫画界の悪しき風習を思い出すからだ。「献本」。単行本などが発売されると、作者にも何冊か送られてくる。出版社によって差はあるが、最大20冊だ。これがなんの断りもなく送られてくる。
冷静に考えてみてほしい。同じピザが一度に20枚送られてきたら嫌がらせだろう。我が家のクローゼットは、「同じ本×20」を繰り返してとんでもないことになっている。年末の大掃除の時期になる度に捨ててやろうとは思うのだが、何せ自分の本なので捨てるには忍びない。
捨てるしか片付く方法がないのに捨て辛い。もちろん、あげる人がたくさんいるという作家にはいいシステムだ。だが、全員がそうじゃない・問答無用で20冊は悪しき風習である。作家に希望を聞くべきだ。ちなみに私はゼロでいい。欲しければ自分で買う。