今回のテーマは「引越し」だ。
まあ、面倒である。今まで2回引越ししたが、物の移動はもちろん、電気水道、ライフラインも新しく手続きしないといけない。とにかく面倒である。しかし、今までの引越しは、両方「光の引越し」だったから、まだやれたと思うのだ。1回目は結婚のために引越し、2回目は家を建てたたのめ引越し、いわゆる発展的引越しである。
例えばそれが、離婚のため引越し、または、金銭的事情などでそこにはいられなくなったから仕方なくする「闇の引越し」だったらどうだろうか。やり切れるだろうか。多分、気力が湧かず、強制退去の日までそこにいてしまうのではないかと思う。
しかし、強制退去とはよく言うが、実際はどのように強制されるのだろう。羽交い絞めにされ、布団に巻かれて、リアカーに載せられたりするのだろうか。それを体験する貴重な機会かもしれない。
とは言え、運良く強制執行される立場にならなかったとしても、生涯この家に住むかは不明である。なぜならこの家、独居老人には広すぎるのだ。さらに、私が何としてでも老後までにコンクリートで埋め立てようとしている庭もある(「観葉植物」を参照)。「君がいなくなった部屋は広く感じる」という失恋ソングはよくあるが、物理的にマジで一人暮らしには広いのである。
夫より私が先に死ぬ方にワンチャン賭けてもいるが、男女の平均寿命という観点から見ると、「順調にいって独居老人」なのである。正直、今でも若干広い。私の荷物や宝(薄い本)が物置などを占拠しつつはあるが、それでも全く使ってない部屋が一個あるし、広さも人一人が余裕で住める。
その部屋は元々、「子ども部屋」という名目で作った。そして今現在、子どもはいない。できる予定で作って、できなかったのなら仕方ないが、私は家の設計時点で、子どもをつくる気は特になかった。ではなぜ子ども部屋を作ったのか。そもそもなぜ家を建てたのか。疑問は尽きないと思う。
「何も考えていなかった」のだ。
ただ、家を建てるのがサクセスな気がしたのだ。もちろん、現金一括で買ったならサクセスだろうが、当然、普通の数十年ローンである。愚かである。「女の幸せは結婚して子供をつくること」と言ったら、モヒカン、トゲつき肩パット、ジープに乗った貴婦人の方々に焼き払われるのが当たり前の世の中になったが、同じことだ。
「家を建てる」という、世間一般で言われるサクセスや幸せが、自分にとってもサクセスだと勘違いした。幸せもサクセスも、人それぞれにも関わらずにだ。家族がいて、友人がいて、家がある。確かにそれはサクセスの内のひとつだが、それが自分向けのサクセスとは限らないのである。それよりも、乙女ソシャゲ内で金をかけて集めた男たちが、私の誕生日に一斉に祝いの言葉を述べに来た時の方が「サクセス!」と思った。
そういう、自分のサクセスがあるにも関わらず、テンプレサクセスを追い求め、数十年ローンを組むのは愚かとしか言いようがない。つまり、家にかかった金額だけガチャを回せば、私はもっと毎日「サクセス!」「サクセス!」だったのだ。後悔しきりである。
自分の幸せが何かを本気だして考えなかったせいで、私は大きなサクセスを逃してしまった。よって、今人生の大きな岐路に立たされている皆さんは慎重になってほしい。そのお金で、「たいして行きたくもないが皆が行くから」と理由で通う大学の学費を払うより、お馬さんの徒競走とかに投資した方が、本当の自分自身のサクセスをつかめるのではないか。
学校はできるだけ出ていた方がいい、なんて世間一般が言うことを鵜呑みしてないか。世間一般と自分が違うのだ。しかし、そう言ったサクセスを追い求めると、上記で言ったような「諸事情で家を出なければいけなくなる」可能性もある。
持ち家を持つことが幸福とは限らない。しかし、住む家がないというのは95%ぐらいの確率で「不幸」な気がする。サクセスするのも幸せのひとつだが、「平凡」という幸福もあるということを心にとどめておこう。
筆者プロフィール: カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。
デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。