今回のテーマは「お盆」である。
結婚前毎年、父の実家・新潟に墓参りに行っていた。墓参りと一言で言うが、我が家にとっては一大イベントである。まず、陸路かつ新幹線を使わないので、新潟に行くだけで往復20時間、4日工程で内2日という弾丸ツアーである。そして、メインイベントの墓参りも、なぜか墓地2カ所に行き、計4つぐらいの墓石に手を合わせる。
遠く離れた親類の墓なので、私はその墓に入っている人と全員と面識がなく、いまだにどの墓に誰が埋まっているか把握していない。しかし数年前、祖母が亡くなった、私にとって初めて、良く知る親類の死である。初めて具体的に顔を思い浮かべて参る存在ができた(それ以前は「ご先祖様! ご先祖様!!」と漠然とした祈り方をしていた)のだが、その時には結婚し、その墓参りツアーには参加しなくなっていた。うまくいかないものである。
ともかく、結婚前のお盆と言えば、メチャクチャ墓参りしていた。そして今、何をしているかと言うとBBQである。
BBQとは、リア充がそのミサ会場で必ずやっているという儀式である。動物の死肉を焼き、その周りで歓声をあげるという、残酷極まりない蛮族の行いだ。そして、その煙で非リア充たちは燻され、土地を追われ、ますます人生が味のしない燻製のようになっていった、と神話に書かれている。
なぜ、敬虔な非リア充である私が、そんな黒ミサに出席しているかというと、夫側の実家の集まりでやるからである。
本当だったら、ヘルシングのアンデルセン神父のコスプレで登場し、義理実家の面々を皆殺しにすべきなのかもしれないが、何せ私は戦闘能力が5しかない。ラディッツに「ゴミめ」と言われるやつなので、それが叶わない。こういう時、ツイッターでよく見る「筋トレすれば全てが解決する論」はあながち間違いではない、と感じる。
こうして、筋肉がない私は毎年このBBQに諾々と参加するのだが、参加する度になぜBBQなのだろうと思う。夫の親類は全員、私よりも戦闘能力もスクールカーストも上のように見えるが、ウェイ系というわけでもない。子どもが5人いるので、そのためかとも思うが、子どももBBQに前のめりには見えない。大人が準備し、大人が肉を焼き、子どもは食うだけ、というか、あんまり食ってない。
ちなみに、私がBBQを好まないのは面倒だからだ。肉が食いたいなら焼肉屋が一番楽に決まっている。しかし、この夫実家の、誰が何の意向でやっているか分からないBBQを見て気づいた。「BBQが一番楽だから」ではないかと。
確かに、店で集まって食うのが一番楽だ。しかし、「夫の実家に集まる」というテーマに絞ると、BBQが最も楽ではないか、という結論に達する。BBQは屋外で動物の死肉を焼く野蛮な行為と言ったが、その野蛮さこそが、BBQの一番の利点だったのだ。なぜなら、動物の死肉さえ仕入れてくれば、成立するからだ。
会場が義理実家ということは、台所問題が生ずる。義理実家の台所、つまり、義母のテリトリーである。そこで嫁(私を含め3人いる)が料理をするというのはウォールが高すぎる。さらに私の場合、「料理がろくにできない」のがばれる。
その点BBQなら、例え用意された肉が牛1頭分の肉塊でも、雄たけびを上げながら適当に切り分ければいいし、野菜も同様に、タマネギなどを空中に放り投げ、後は包丁を焦点の合わない目で振り回せばいいだけだ。
野蛮な分、使う神経が少なくて済むのである。もちろんBBQセットの準備等は必要だが、料理のような難しいことはない。また、開始後も各々フリースタイルで飲み食いするので、取り分けとか酌とか、あまり気にしなくていい。
つまり、一番何も考えなくていいのがBBQなのだ。そこまで考えてBBQなのかは分からないが、「大人数で集まる場合は一番コレが簡単だと思います」というやつだ。
それにしても、コミュニケーションというのは面倒くさい。何かとリア充を妬む非リア充だが、リア充とはこの面倒くさいコミュニケーションをよくしているやつのことだと思う。だとしたら、リア充の何が羨ましいのか。多分、楽しそうだからだ。
今度からは、リア充が憎いではなく、「楽しそうなやつが憎い」と言うことにする。
筆者プロフィール: カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。
デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。