今回のテーマは「畳vsフローリング」だ。「お風呂vsシャワー」などと、どうやら当コラム、戦わせなくていいものを戦わせるターンに入ったようだ。
私の部屋はフローリングだが、すでに創業50周年の王将の床みたいになっているし、ガムなど食った覚えがないのに、道路にへばりついている黒くなったガムのようなものが床に点在している。おそらく、私の足の裏が何かそういうものを分泌したのだろう。
しかし、これはフローリングだったからまだマシなのだ。畳にガム状の物がへばりついた状態をイマジンしてほしい。「終わった」感が半端ない。フローリングの汚れが、額に油性マジックで「肉」と描いた状態なら、畳はそういうタトゥーを入れてしまったに等しい。文言も「ウンコ」とかだ。
よって、きれい好きではない。足の裏からガム状の物が出るという。使えないスパイダーマンみたいなやつは、フローリングに住むべきだ。ぜいたくを言うなら、屋外に住んだ方がいい。
しかし、我が家にも畳の部屋が一室だけある。では、現在その畳の部屋がどうなっているかというと、「とてもキレイ」である。畳にはガムどころか、シミひとつないし、物もテーブル以外、置かれていない。ほぼ新築のまま、と言っても過言ではない。
どうやってこのような状態をキープしているかというと、「私がほとんど入らない」からだ。私も入らないが、夫もほとんど入らない。つまり、部屋をキレイにする最大のコツは「人間が入らない」ことである。確かに、部屋というのは何もしなくても汚れるものだが、塵も埃も私ほどは汚さないし、ガムが自然発生することはない。現に、私が入らない部屋と私しか入らない部屋は、とても同時に建てられたとは思えぬ差ができている。
世にはさまざまな整理整頓法があるが、一番の方法は「汚すやつを入れない」ことである。整理整頓など必要ない。汚すやつを1個捨てれば、部屋は片付くのである。
しかし、畳の部屋というのは、そういう人間が立ち入ってはいけないのはもちろんだが、そうでない人間にとってもフローリングより維持するのが大変だと思う。つまり、和室自体がすでに「割と丁寧に暮らせる人向け」なのだろう。
ところで、私は孤独死の予定である。これは冗談ではなく、今、私は夫と2人暮らしで子どもはいない。夫は年上で、一般的に男より女の方が寿命が長い。よって、このままいくと将来は独居老人だろう。つまり、「順調にいくと孤独死」なのだ。
ちなみに、孤独死を防ぐ方法は「親戚や近隣住民と密な連絡を取り合う」こと、らしいが、一番苦手分野である。むしろ、今できていないことが、還暦すぎてできるようになるとはとても思えぬ。逆に、今よりダメになるだろう。そもそもできるなら、老人になってからではなく、高二とかでその力を発揮したかった。
よって、このまま何事もなく独居同人となり、無事に孤独死し、当たり前のように1~2週間発見されなかったとしよう。その際、畳の上で死ぬか、フローリングで死ぬかで、かなり話は違ってくるらしい。
話が違う、というのは片付ける人たちにとってである。詳細を書くのは控えるが、結論から言うと、「フローリングの上で死んでくれた方がありがたい」そうだ。理由はというと、ガムと一緒と思ってくれればいい。よく、「畳の上で死にたい」とは言うが、それは「※ただし看取ってくれる人間がいるやつに限る」なのである。
全然ほがらかではない話になったが、将来必ずやってくることに対し、「暗い話はやめろ」と目を背けるのはいいことではない。よって私はよく考える、そして考える度に、「死んでるからいいか」となる。思えば、自分が汚したものを他人に片付けてもらってきた人生である。生きている内からそうなのだから、死んだらなおさらである。
ともかく、畳の部屋というのは、いろいろな意味で丁寧に生きられる人向けなのだが、では畳というのはそんなにいいものなのだろうか。試しに畳に寝てみたが、普通に堅いし腰が痛かった。多分、フローリングとそこまで大差ないだろう。
よって、畳vsフローリングの勝者は「オフトゥン」である。
筆者プロフィール: カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。
デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。