漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「願い事」である。
そういえば今年は初詣に行かなかった。
1月1日に夫が小学生の甥姪たちとガチ鬼ごっこをして松葉杖になるという波瀾の幕開けがあったからだ。
このビジュアルで「健康第一」「家内安全」とか願っても完全に遅い。
それで神が出現して「手遅れやろがい!」とツッコんでくれるならまだ行く価値があるが、おそらくノーリアクションだ。
あいつは今まで私が「アニメ化」「単行本70億部」などと願っても全くツッコまなかったボケ殺しである。今更松葉杖ごときに反応するはずがない。
むしろ「石原さとみの顔」と願ったら、枕元にさとみの首を置いていくような冗談の通じないタイプだ。
そんなわけで今年は初詣に行っていない。
つまり夫に有無をも言わせず「行くぞ」と言われなければ、初詣には行かないということだ。
ただ初詣をしたくないわけではなく、その過程に「外出」が入っているだけで全部したくないのである。
つまり、神の方から来るならやぶさかではない。
しかも正月の日本というのは大体どこも寒い。神社も所在地の集落の人口が3人、または大量の人形の首が吊してあるなど癖強神社でなければ、人が多く、まず境内までたどり着くのに膨大な時間がかかってしまったりする。
寒い中長時間並んで待つ、というのは普通に苦行である。
何故正月からそんなつらい目に遭いにいくのか不思議なのだが、初詣というのは「この過酷な状況の中、同行者などに「だから1日はやめようっていったのに」など八つ当たりすることなく境内にたどり着けたら今年一年心穏やかに暮らせる」という、それ自体が修行であり、願掛けなのかもしれない。
確かに願いが叶うかどうかは未知数だが、忍耐力が養われるのだけは確かである。
そう考えれば「小型犬を抱いてくる」などさらなるエクストリーム初詣に挑む修験者が現れるのも納得だ。
確かに犬を抱いている人ほど表情が穏やかであり、むしろ手ぶらでハンドポケットの中年ほどイラついている印象がある。
そんなわけで、初詣というのはお参りをする段階で結構疲れている上、後ろに待ちが控えているため、願い事自体は雑になりがちである。
あの場で願い事の「目録」を巻物で出したら暴動が起こってしまい、せっかくここまで初詣という修行に耐えた人の1年を台無しにしてしまう。
よって毎年「健康」や「仕事が上手くいきますように」など具体的に欠ける願い事を10秒ぐらいで言って終わっている気がする。
それらの願い事が叶っているかというと、見ての通り微妙である。
そもそも早口すぎて神に「これだからオタクは」と思われただけで終わっている可能性がある。
ただ「神に祈ったからこの程度で済んでいる」という可能性もゼロではない。もし初詣に行っていなかったら、今頃仕事は全て干され、肉体は滅び、培養液に浮かぶ脳髄になっていた可能性はある。
つまり、願いが叶えば神の御利益、叶わなくても祈ったからこの程度で済んだという御利益にできるという、神の一人勝ちシステムなのだ。
このように、物事とは大体胴元が勝つシステムになっているので、SNSにはびこっているようなおいしい話になど飛びつくべきではない。
我々が100万という小銭に群がることで友作が月に行くというシステムなのだ。
しかし、外出が嫌すぎるせいで初詣も好きではないが、願掛けや縁起担ぎ等のスピリチュアルは嫌いではない。そもそも神頼み以外にできることが年々少なくなってきている。
だが根拠のないものに叶うかどうかわからない願いを託すならもっと突拍子もないことを願っても良いはずなのである。
しかしそういう願いすら、年とともにスケールダウンしており、さらに「もし叶った時のために」というせこい発想から、現実的なものになってしまっている。
確かに「世界征服」が叶っても困るだけである。
イーロンマスクですら、Twitter社一つにあれだけ手を焼いているのだから、私ごときが世界を手に入れても手に負えないだろう。
漫画が売れて欲しいが、売れると作者の言動にまで注目が集まってしまい、担当への殺意すら自由に発信できないかと思うと、今ぐらいで良いのではないかとすら思ってしまう。
まさに夢をなくした大人そのものだが、現金に関してだけは未だに「2兆円」を願っている。
むしろ金に関しては中途半端な金額は良くないのである。
よく「宝くじで6億当たった人の末路」みたいな話が出てくるが、あれは6億などという端金だから身を持ち崩すのだ。
ちなみに「末路」とタイトルに入れるとアクセス数が上がるので、記事やYouTubeのタイトルにこぞって「末路」と入れる奴が増えてきてしまっているが、見ると全然末路じゃないので注意が必要だ。
それにみんなが「末路」を見たがっているせいで、宝くじを当てて破滅した人の話ばかりが取り上げられるため、全員破滅しているように思えるが、おそらく上手く運用して人生良い方に変わった人の方が多い気がする。
借金も1億ぐらいあると逆に自殺せず、むしろ数百万ぐらいの方がしてしまう、という説もある。
庶民に想像がつくレベルの金を与えるのは却ってよくない。
そういう意味で一番バランスがとれた数字が「2兆円」なのである。
2兆円未満だとあぶく銭すぎてすぐ使ってしまうし、それを超えると品がなくなってしまい、札に火をつけて灯にする成金と化してしまう。
人を一番クールにする数字が2兆円である、今年こそ、一番クレバーな私を皆様にお見せしたいので、一刻も早い2兆円を望む。