漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「初任給」だ。
そろそろ新卒者が初任給をもらう季節、では全くないが、なぜかテーマである。
初任給とは、主に社会人になってからの初給料のことを指し、特別視されることが多い。
確かに働いて賃金を得ることは尊く、そういう存在になれたことはめでたいのだが、あまり己が働いて稼ぐことを持ち上げすぎると、逆に諸事情あって働けない人を責めたり、家事を軽んじたりする社会になってしまう。
初めて年金をもらった日や生活保護を受けた日も、順調に年老いた証し、正当に日本国民としての権利を享受できた日としてポジティブに捉えた方がいい。
働かずに食う飯が美味いかなどというが、たかが働かないぐらいで飯が不味いというのは一生懸命働いている食品業界従事者の方に失礼である。むしろ出された飯をおいしくいただくのが無職の仕事と言っていい。
とは言え、働いて賃金を得ることも尊いことであり、初任給を特別視するのもわかる。そしてその初任給を使われる相手も特別な存在なのです、というヴェルタースオリジナル構文により、初任給で主に親に何かプレゼントをする、という文化もある。
私が初任給で親に何か買ってあげたか、というと正直覚えていない。
しかし、今は亡き遠方に住む、年に1回しか会わない父方のババアに箸のようなものをプレゼントしたのは覚えている。
だが、それも自発的に行ったわけではなく「お祖母さんに何か買っていきなさい」という、社会性のある母の指示によるものだ。
「初任給で両親に何か買いなさい」と指示してくれる司令塔はいなかったので、多分何もあげなかったのではないかと思う。
母から「初任給で我々に何か与えなさい」と指示があればあげたと思うが、社会性のある人は自分からそんなことを言い出さないのでおそらくあげていない。
しかし、初任給では何もあげなかった気がするが、漫画家になり「初単行本」が出た時、印税の一部をあげたことはしっかり覚えている。
してもらったことはすぐ忘れるどころか「してもらった」という自覚すらなく周囲から嫌われるが、自分が「してあげた」ことは永遠に覚えており、いつまでもその話をしてさらに嫌われるのが俺たちだ。
しかも誰かに指示されたり、頭に埋め込まれた電極で操作されたりしたわけではなく自発的にである。
その時すでに20代後半であり、その間に初めて勤めた会社に母同伴で退職願に出たり、リアルメンタルクリニックに連れて行ってもらったり、その後も定期的にノージョブになって帰ってきたりと「むしろ成人してからの方が迷惑をかける」という社会不適合者あるあるをやってきたため、さすがに何か返した方が良いのではという発想が生まれていたのである。
しかし、親に大きく何かあげたのはそれぐらいのものだ。
毎年、母の日と父の日には、本当に気持ちばかりのものを持って行くのだが、実家に行くたびに、あげた以上に食べ物などをもらうので、未だに親からはもらっている側である。
だが、最近また私にしては巨額を親にあげる機会があった。
最近母が定年退職をした。
最後の方はパートだったのだが、それでも70過ぎまで働いていたのは確かだ。
長い間よく勤めた、というより、これからは70過ぎまで働かないとやっていけない、ということが超リアルであることの証明、というただの嫌な話だ。
私は父とよく似ているのだが、生き方までクローンであり、社会性があり、外で働く配偶者の鱗に張り付くことで生きているという点も同じなのだ。
母も私が物心つく頃から外で働いており、私が奨学金など借りずに学校を卒業し、立派な無職になれたのも、母が長年働いてくれたことと、母方のババアの隠し金鬼の爪のおかげであることは確かである。
そしてちょうど、我がクローン元である父も病院から退院してきたところであった。
よって、母の退職祝いと父の退院祝いを合わせて、私にしては思い切った額を包んで持って行ったのだ。
本気で親への借りを返そうと思ったら、225巻分ぐらいの印税を包む必要があるのだが、正直その時は「私も一端の人間になった」という気がした。
しかし、後日また実家に行くと、母は「半分返す」と言って封筒を差し出してきた。
なんでだ、いらねえよと言ったが、その表情は北の国からのトラックの運転手級に強固であったため、受け取らざるを得なかった。
おそらく、借りた金、もしくは親からもらった体の一部を売買して得た金と思われたのだろう。
確かに、金が戻ってくるのは助かる。
しかし、子どもは親に何かあげる時、ちょっと得意げになっているものだ。それが何であろうと肩たたき券をもらった時と同じ感覚で受け取ってほしい。