漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「習慣」だ。

新年一発目だというのに行事を無視して平常運転するこの感じ、「刀剣乱舞みたい」といいたいところだが、刀剣乱舞でさえ正月は新年のあいさつとかおみくじとかいろいろやるのだ。

習慣とは、いつもやっていることであり、最近は朝の習慣を「モーニングルーティン」と言って、ユーチューバーがこぞって自分のそれを人様に見せるという発作が流行っている。

私のモーニングルーティンは、エゴサ、屁、パブロソだが、動画にしたところで削除されそうなのでやらない。

ちなみに削除対象は屁と見せかけてパブロソである。最近中学生がパブロソを万引きするという事件があったらしく、ついに「パブロソの話はやめろ」と言い出す媒体が現れたのだ。

盗んだバイクで走りだしていた時代から、盗んだパブロソでキマりだす時代の到来である。

しかし、パブロソの話もできないこんな世の中はポイズンとしか言いようがない。若人はぜひ自腹でパブロソが買える大人になってほしい。

このように私の習慣は病(ビョウ)の匂いが強めなものが多いのであまり紹介することができない。

前までは早寝早起きという立派な習慣があったのだが、それも1日19時間ウマ娘をやりながら仕事をするという新習慣を実現させるために破綻した。

もはや時空の方に「1日は24時間」という習慣をやめてもらうしかない。

今唯一公の場で言える習慣と言えば「1日1時間のウオーキング」ぐらいのものだ。

もちろん外を歩いているわけではない。そんなことをしたら近隣住民に「警戒」という新習慣ができてしまう。

数年前ウオーキングマシーンを購入し、それ以来ほぼ毎日1時間のウオーキングを続けている。

そういうと「素晴らしい、抱いてほしい」と多くの人が好意的な反応を示すのだが、これもある意味病である。

毎朝起き抜けにへぬるい水を飲むなど、健康習慣というのは実際健康に良いかは別として「これを続けているから健康になっているに違いない」という思い込みによるプラシーボ効果もあると思われる。

逆に言えば「今日は朝に白湯を飲まなかったから何やってもダメ」という、呪いにもなりかねないのである。

私にとってウオーキングはすでに呪いに近い。

ウオーキングは11時開始と決めており、30分前後の誤差はあるがその時間帯にできなかったから15時にやろう、ということはできない。11時ごろにできなかったら終わりなのである。

終わりというのはウオーキングがではなく「1日」が終了であり、その日はもう何をやってもダメなのだ。

ウオーキングの後風呂に入るため、その日は風呂にも入らないし、運動していないから飯もまずく感じる。

習慣を続けられるというのは長所でもあるが、そういうタイプは突発的事態に弱く臨機応変な対応が苦手だったりする。

またできるだけ自分の習慣を優先しようとするため、融通の利かない自己中心的な人間、最悪変態と思われることがある。

柳沢教授も「21時就寝」という健康的な習慣を持っているが、よほどのことがなければその習慣を曲げようとしないため呆れられる描写もある。

私も電話打ち合わせが11時にかぶってしまったため、ウオーキングしながら打ち合わせをしたことがあるが、どんどん息が上がりだしたのでバレている可能性が高い。

バレていたとしたら無礼以前に常軌を逸した人である。

筋トレをやる人もこの呪いにかかりやすく、旅先でも筋トレの習慣がやめられないという。

高いホテルになぜかジムやプールがついているのはこのためではないかとさえ思える。

しかし同行者からすれば「こんな時にまで筋トレしなくても」だろう。

また仲間内で「今日は焼き肉で胃を終わらせようぜ!」というテンションの時に1人おもむろにかばんからささみを取り出して「俺はこれでいいからみんなは気にせずに終わって」と言い出しがちなところがある。

このように体に良い習慣もこだわりすぎるとほとんど病(ビョウ)と変わらなくなってしまうので注意が必要である。

1日運動したからといって痩せるわけではないのと同じように、1日運動を怠ったからと言って激太りするわけでもないのだ。

1日怠っただけで命に係わるのは「呼吸」ぐらいのものである。

つまり、呼吸の習慣さえついていれば大丈夫、ということだ。