漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「我慢」である。
思えば無職になって以来「我慢」というものをほぼしたことがない気がする。
コロナ全盛のころ人々は「外出を我慢」という、私からすると「一生懸命死ぬ」みたいなブラックジョークのような真似をしていたらしい。
しかし私は逆に我慢して外出をしていたタイプなので、外出自粛要請が出たときは「外出しなくていいんですか? やったー!」と危うく外に飛び出しそうになった。
つまり無職の上にコロナで私はさらに我慢しなくて良い生活を手にいれてしまったのだ。
基本的に「我慢」というのは「他人」がいるから必要が発生してしまう。
他人がいるから服を来て、他人がいるから屁を我慢、もしくは消音に努めるのである。
よって他人がいても、全裸でケツをミュートにしない人間のことを「傍若無人」というのである。
私は長らく、傍らに人がない生活をしている。いたとしたらそれは傍らに人がいる幻覚だ。
よって全裸とまではいかないが、むしろ全裸の方が清潔感を感じるぐらい小汚い恰好をし、ケツもかなりフリースタイルラッパーになっている。
フリーランスの人間が、会社員よりはるかに恵まれない社会保障、そして昨今のインボイス制度など、数々の不遇を受けながら誰一人として「やっていられるか、私は会社員に戻らせてもらう」と言い出さないのは、体がケツを中心に自由律俳句になりすぎているため、今更会社員という定型句に戻れる気が一切しないからである。
よってもし、フリーランスなどというコンスタントに税金を納められない存在を撲滅し、会社員にするためインボイスをやろうとしているのなら本当にやめた方がいい。
フリーランスはフリーランスしかできないからやっているのであり、それをやめさせたところで、無職のひきこもりになり、余計税金が納められない存在になるだけだ。
もしくは、フリースタイルハイカーが大量に世に放たれ、今まで五七五で真面目にやってきた人を病(ビョウ)にしてしまう。
私も無職になる前は一応10年近く会社員をやっていたが、昔できたからと言って、今からもう一度できる気は全くしない。
自分が数年前まで朝決まった時間に起きて定時に出社していたこと自体もはや信じられないのである。
このように、フリーランスとはいろんな意味で退路を断った生き方なので、やってダメなら会社員に戻ればいいや、というつもりで始めるのはお勧めできない。
フリーランスの切符は常に片道「地獄さいくだ」と、蟹工船に乗り込む覚悟でやってほしい。
そんなわけで生活面ではほぼ一切我慢をしなくなった私だが、未だに我慢を強いられているのは「金遣い」だろう。
欲しいものを全部買っていたら、マイホームがフリーになってしまい、外出を自粛したくても自粛先がなくなってしまうし、最悪雇用による労働をしなければいけなくなる。
これは私だけではなく「今日から入ってもらう佐藤さん(偽名)仕事教えてあげて」と、私を押し付けられる人間にとっても不幸である。
今の我慢のいらない生活を維持するためにも、金に関しては一層我慢していかなければならないのだ。
しかし、出費に関して我慢しているかというと、正直あまり我慢していない。
むしろ生まれつき我慢のバルブがパカパカだから今の状況に陥っていると言える。
幸い私は物欲のレベルが小学3年生でカンストしたため、基本的に欲しいものは「お菓子」しかない。
我慢ができないと言っても、シャネルのバックを我慢せずに買ってしまうのと、コンビニで見かけた湖池屋新商品を我慢せずに買ってしまうのとでは話が違う。
よって我慢しなくても「何に使ったかわからないが、いつの間にか金がなくなっている」という怪現象が起こるだけで、自分のものではない金や、未来の金を使うなどの魔術にまで手を出すには至っていない。
しかし、そんなこらえ性のない小三を殺す「ソシャゲのガチャ」というシステムが生まれ、そして私はそれに出会ってしまったのである。
これは完全にクレイジーさんにジャックナイフである。
ガチャに総額いくら使ったかはわからないが、おそらく全身グッチで、ティファニーの麻雀牌を打ち、負けそうになったらシャネルのブーメランで対戦相手の首を狩れるレベルで使ってしまっているのではないかと思われる。
ちなみに麻雀牌もブーメランも実際にある。
だが正直これでも我慢している方である。
本当に我慢しないのであれば、出るカードすべてを出すところだが、それはさすがに「我慢」している。
何故ならそんな金はないからだ。
所詮私のこらえ性のなさというのは「死なない範囲」なのである。
目についたチョウチョを我慢せずに追いかけはするが、チョウが崖より先に行ったら止まってしまうのである。
世の中には「これがバレたら3年はゴールデン枠に出られねえ」とわかっていながら不倫を我慢しない人もいる。
そういった「真に我慢しない人」に比べれば私はもはや我慢強いと言っていいだろう。
来年も持ち前の我慢強さで、耐えがたきを耐え、忍び難きを耐え忍び難きを忍び、ここぞというときだけ苦渋の思いでガチャを天井まで回していこうと思う。