漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「プレッシャー」である。
作家というのは己のセンスと責任で作り出したものを衆目にさらし、面白いORつまらない、というプリミティブすぎるジャッジをされる職業だ。
よって作家は常にプレッシャーにさらされている。
そう言いたいところだが、私は大してプレッシャーを感じていない。
何故ならプレッシャーというのはただの緊張と違い、他人の「期待」があって初めて発生するものだからだ。
カラオケでたまに遭遇する「これ練習ね?」という謎の文言にイラつくのも「これは練習だからお前らの期待に応えられなくても許せよ」と誰も期待してないのに先回りしてくる感じがウザいからだ。
よって現在プレッシャーによるストレスで押し潰されそうな人は、自分に期待している人間が存在しているのか今一度確かめてみよう。
もしいなければそのプレッシャーは幻である。
仮にいたとしても「期待している人の幻」を見ている可能性もある。
本当に実在しているか確かめるために、一度その人の前で長尺の屁をこくか、尻太鼓でサバイバルダンスを奏でて反応を見てみよう。
無反応なら幻だし、仮に実在だったとしてもその瞬間から相手は自分への期待を捨て去るので、どちらにしてもプレッシャーからは解放される。
実際過度なプレッシャーは体に悪い。
特に真面目な人ほどプレッシャーという名の期待を裏切れずに無理をして健康を害し、最終的に期待に応えるために不正行為をしたり、プレッシャーを感じなくなる魔法のお薬使用など、不真面目な人間でもそうそう犯さない法を大胆にブレイクしてしまったりするのだ。
対して不真面目な人間は、許容値以上のプレッシャーを受けると体を壊す前に普通に逃げるか「俺に期待をするような目がオナホールな奴の期待に応える義理はない」と逆ギレする。
だがプレッシャーや期待というのは害なだけではなく、むしろ人が成長するにはある程度必要だったりもする。
先日、仕事で「プレジデントFamily」という雑誌を読んだ。
どういう雑誌かというと、死ぬほど嫌な言い方をすると意識高い系子育て雑誌であり、優秀な子を育てるコツなどが書かれている。
もはやこの本を親が読んでいる時点で子どもに対するプレッシャーが過積載だ。彼女の家に置いてあるゼクシイ以上に重い。
ちなみにもらった号の特集は「東大生150人が小学生時代にやっていたこと」である。
私だったら家にこの本が置いてあるのを見た時点で家出するので、購読する場合はBL本よりも厳重に子どもの目の届かないところに置いてほしい。
ただ、子どもに勉強をさせる方法というより、勉強に興味を持たせ、すすんで勉強する子どもにする方法が書かれているような気がする。
子どものときは勉強よりステゴザウルスとかに興味を持った方が健康的な気がするが、子どももいやいや勉強させられるよりは好きでやった方が良いだろう。
その本によると、子どもが何かに挑戦するときリラックスさせようと「失敗しても良いから頑張れ」というのは逆効果なのだという。
そのような言い方は「期待されていない」「母にそんなことを言われるとはワシも見くびられたものよの」と感じ、モチベーションが下がる上に自信も喪失してしまうという。
実力を伸ばしそれを発揮させるためには「お前ならできる」という期待をかけることも必要なのである。
確かに「参加することに意義がある」という励まし方は「一位でもビリでも大差ない」と言っているようなものであり、だったら努力して1位を取ろうとは思わないだろう。
「息しているだけで偉い」と自己を肯定し続けた我々が本当に息以外しなくなりつつあるように期待というハードルを作ってあげなければ子どもの足は俺たちの肩のように上がらなくなる一方なのだ。
よって「期待をする」というのは決して相手にとって重荷なだけではなく、それが後押しになる場合も多い。
ただ、相手が自分の期待に応えなかったからと言って怒ってはいけない。
期待というのはあくまでこっちが勝手に期待しただけなので、裏切られたとしても「そいつに期待した俺が真の意味で馬鹿だった」だけである。
作家が感じるプレッシャーも出版社や読者の期待値によって変わる。前作がヒットした作家が新作を出すときのプレッシャーはかなりのものだろう。
つまり私が今までプレッシャーに負けず作家を続けられたのは期待されるほど売れたことが一度もないおかげとも言える。
そういえば、私はかつて、今は事実上亡きmixiで「褒められても叱られても伸びない」というコミュニティに入っていた。
同じように、この世には期待されてもされなくても伸びない奴がいる。
プレジデントFamily読者も自分の子どもがそのタイプだったときはお互い無理をせず「健康第一」に目標をチェンジしていただければと思う。