漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「マナー」である。
無職であること、そして引きこもりでいることの利点は5兆個ほどあるのだが、やはり一番のアドバンテージはマナーや礼儀という「常識」に縛られなくて良い点だと思う。
まず「全裸で怒られない」時点で引きこもりの自由さは頭一つ抜けているし、椅子に立て膝をついてソシャゲ周回をしながら飯を食い、さらにYouTubeで目ぼしい動画を探すという、どれか一つ諦められないか、という強欲ムーブをしても誰も文句を言わない。
そもそもマナーは何のためにあるのかというと大体他人のためである。
「今あなたの目の前にいるのはゴリラではなく一般常識を持った人間であり、あなたを舐めてない」と他人を安心させるため、もしくは本当はゴリラだけど人間のふりをして相手の目を欺き、油断させたところで首をへし折るためである。
よって1人の時にマナーに厳しくする、というのは一体誰に自分はゴリラでないとアピっているのか意味がわからない。
そう思っていたのだが、やはり1人の時でも自らを律して生きることは大事らしい。
先日『理想はピンシャンコロリ!』という恐ろしいタイトルの老人向け健康本を読んだ。
死ぬ時まで、周囲に迷惑をかけぬよう即死しなければいけないのかと思うと、この国で安楽死が合法でないのが不思議に思えてくるが、合法になったらなったで「年を取ったら迷惑をかけないように安楽死を選ぶべき」という圧が強くなるに決まっているので安易なことは言えない。
それに、自分のためにも長患いするよりは、死ぬ直前まで元気な方が良いだろう。
本の内容は、苦しまない自決方法ではなく、普通の老人向け健康本なのだが、本に出てくる健康なパイセン方が80歳超えは当たり前、90代、100代も普通な長生きガチ勢なのである。
だからと言って「150歳だけど体に謎の管が14本ついており1本抜けると死ぬ」という状態ではなく、高齢の上に元気であり、90歳を超えてもいまだに働いているネキなども出てくる。
90超えて働いている、という状態が羨ましいかというと「死んだ方がマシ」な気もするが、生きがいとしてやっているなら良いことである。
そんな超人たちが紹介する健康法は「謎体操を40年」などそれぞれではあるが、共通して言えるのが「1人の時もゴリラではない」という点である。
本当にほぼ全員が示し合わせたように「規則正しい生活をして、たとえ家に1人であろうともだらしない格好はしない」と言っているのだ。
謎体操の効果はともかく、それを40年続ける規則正しい生活と強度な自制心が、高齢健康児を生むのである。
さらに、家の中でもちゃんとするぐらいなので、当然外出時は「オシャレ」をするという、確かにどのパイセンも、私が1枚も持っていないような明るい色かつ柄物の服を着ていらっしゃる。
この服装なら暗い道でも目立ち、車に轢かれるリスクも減って余計寿命が延びるだろう。
決して、ちょっとゴミを捨てに行くだけだからと、半裸で外出したりはしないのだ。
このように、たとえ1人であろうと、人間であろうとする心が人間としての健康寿命を延ばすのである。
確かに、健康に一番良いのは「規則正しい生活」であり、人間は自由であればあるほど、規則正しい生活を放棄し、冷蔵庫にビールと氷、冷やしロキソニソしかない、という不健康な生活に陥りがちなのである。
我々は、家でも身だしなみを整えるニキや化粧をするネキに、尊敬を超えて恐怖、そして「一体何の意味があるのか」という不可解さを感じるものだが、あれは正しい心身の健康法なのである。
また、あまりにもジャングルの中で自由を謳歌しすぎると「人里に降りるのが怖くなる」という問題がある。
実は今月「結婚式」に出席する予定だ。
正直、今後出席する冠婚葬祭は葬式オンリーと思っていたので完全に油断していた。
葬式であれば多少死にそうな顔をしていても、主役が死んでいるのだから問題ないだろう。それに対し結婚式というのは、常識とマナーを踏まえつつそこそこ華やかな格好をしてこい、という難易度の高い場所である。
コロナに乗じて丸3年は公の場に出ていないので不安しかない。
もちろん結婚式に来た人間のコスプレをしていくつもりではあるが、人間のコスプレ自体3年ぶりなので、ちゃんと人間になれているのか自信がない。
自分では人間のつもりでも、周囲から見れば「NIN GEN」と書かれた段ボールをかぶってきているだけのゴリラな可能性は十分にある。
正直「ゴリラにより」という理由で断ろうかとすら思った。
人はこうして自由で豊かな孤独から「孤立」をしていくのだ、当然孤立は健康に悪い。
たとえ、家で1人でも、宅配便が来てから服を着るような生活は慎んだ方が良い。