漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「クーポン」である。

私は触れたものを有機物なら腐らせ、無機物ならゴミに変えるという能力者なのだが、最近ある程度収納力のあるものなら「ゴミ箱」に変える能力も保有していることが明らかになった。

最近CPSにハマっているのだが、私自身がCPSとして収容されるのも時間の問題である。そうなった場合、哀れなDクラス職員が実験として私の収容室に入れられ、腐るかゴミ箱にされてしまうのだ。

まずゴミ箱にされているのは私の部屋である。

私が、空になったグミの袋をゴミ箱ではなく床に置くのも、部屋全体がゴミ箱になっているからだ。

思い返せば私の父は家一軒をゴミ箱にした能力者だったので、遺伝していても何らおかしくない。

この能力は家や部屋など大きな空間だけでなく、ある程度の体積があるものなら発動してしまう。

私は現在「G」と書かれたバックを愛用している。

誕生日プレゼントとして夫にもらったものなのでGが何なのかわからないが、おそらく「ゴリラ」なのではないかと思っていた。

しかし最近「ゴミ」のG説も浮上してきている。

このゴリラバックは、ゴリラだけあってサイズがデカく、レジ袋亡き後のコンビニで大変重宝しているのだが、デカいが故に私の「すべてがGB(ゴミ箱)になる」能力が発動してしまい、気づいたらゴミだらけになっているのだ。

ゴミ箱化と言っても、食ったバナナの皮をわざわざカバンに入れているわけではない。ただレシートなど、出先で得たものをとりあえずカバンに入れ、そのまま整理しないため、気づけばゴミだらけになっているのだ。

おそらくその中にはもらった「クーポン」も入っているのだと思われる。

よってレジで「クーポン持ってませんか」と問われたら、おそらく「持っている」のだ。 しかし、その場でゴミの山からクーポンの発掘作業に取り掛かる度胸は、後ろに並んでいるのがたまたま呂布カルマで「焦る必要ないぜ」とラップしてくれない限りはない。

同様に「スタンプカードありますか」と言われても、デュエリスト級にカードでパンパンになった財布から該当のカードを探す気にはならない。最悪その場で「すべてをぶちまける」という事態になってしまう。

カルマ氏なら一緒に拾ってくれると信じているが、内心舌打ちは避けられないだろう。

よって、クーポンやスタンプカードの有無を問われたら「おそらくこのカバンのどこかにある」と思いつつも探すのがめんどうなので「ないです」と答えることが大半だ。

スタンプカードやクーポンというのは使わなければ紙クズである。

つまり私にとってクーポンを受け取るというのは「ゴミ手渡し」と同じなのである。

「これどうぞ」と言われて、噛み終わったガムを渡されそうになったら、相手が怖いパイセンでもない限りは断るだろう。

だが私は断るのもめんどうなので、差し出されるままにそのガムを受け取りそのままカバンに入れてしまうのだ。

ちなみに私のカバンからはリアル噛み終わったガムが出てくることもある。

このようにだらしない人間は、部屋やカバンが汚いのはもちろん、得する機会も逃しがちなのである。

実際「めんどうくさい」という理由から、スーパーよりコンビニで買い物したり、無くしたものを探さず新しいものを購入したりと、めんどうくさがりは浪費家も多い。

噂によると「申請がめんどう」という理由で10万給付も受け取らなかった人間がいるらしいが、ここまでくると一本筋が通ってかっこいい。

つまりクーポンは受け取った上でゴミにするくせに10万はちゃっかりもらう私のようなめんどうくさがりが一番ダサい、ということである。

しかし最近では「金で解決できるめんどうは自分でやらず金でさっさと解決する」というムーブも評価されつつある気がする。

病気を民間療法とガッツで1カ月かけて治すより、病院へ行って1週間で治す方がコスパが良いように、めんどうなことは多少金をかけてでも外注し、浮いた時間をもっと有効活用する方が経済的かつQOL向上につながる、という考え方だ。

確かに1時間かけて1円安い玉子を買いに行くぐらいなら、時給680円でも仕事をした方が遥かに効率的である。

クーポンも同様であり、良かれと思って渡そうとしてくるクーポンに対し「いりません」と断る精神的苦痛による損失に比べれば、クーポンにより割り引かれる金額の損失など微々たるものである。

めんどうくさがりにとって「めんどう」というのは、何にも耐え難い精神的苦痛であり、それを金で回避できるなら安いものなのだ。

10万申請めんどうニキも「申請」という行為におそらく10万以上の精神的苦痛を感じていたのだ。それを10万諦めるだけで回避できるとしたら、それはもはや「プラス」である。

目先の数字だけで、損得を判断してはいけない。それこそが己の人生を貧しくする行為なのだ。

これからも私は渡されるままにクーポンをもらいカバンをゴミだらけにしていくだろう。