漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「集めているもの」である。

林家ペーパーに好きな色を聞くぐらいの愚問である。

しかし、ああ見えてペーはともかくパーはターコイズブルーとか好んでそうなところがあるので一応確認のためにいうが、私が集めているのは「ゴミ」だ。

私が世界有数のゴミコレクターであることは部屋を見ていただければ一目瞭然であり、一見ただのゴミ屋敷だが、実はガラスケースにフィギュアを整然と並べているオタクと同義の部屋なのである。

ただ、集めているものがフィギュアかゴミかの違いであり、フィギュアコレクターはガラスケースに綺麗に並べた方がフィギュアが映えるからそうしているのだろう。

それと同じように私も床に置くなど、あえてランダムな配置でゴミを映えさせているのだ。

せっかく集めたゴミもゴミ箱に入っているようでは興醒めであり、私はゴミを静ではなく動で魅せていきたいと思っているし、どこまでもリアルを追求したいのだ。

そんな私のゴミ愛にゴミも応えてくれており、インタビューで「私がゴミを集めているのではない、ゴミが私のところに集まるのだ」と答えるのがもはや定番となっている。

ちなみに答えるときのポーズはろくろを回しているのではなく「とりあえずものを床に置くときのポーズ」だ。

とりあえず床に置いたものは、その後上質なゴミとなる。つまり「とりあえず床に置く」というのはゴミコレクターにとって畑を耕し種を蒔く行為なのである。

素人はただゴミを部屋に置いてコレクトした気になっているが、本物のコレクターは既製品のゴミなど置かず、全てハンドメイドで揃えている。

「良いゴミがない」というのは甘えであり「ゴミは自ら作り出すもの」なのだ。

良いゴミ作りにおいて「とりあえず床に置く」は基本の型である、これができてないと、どうしても床に空間ができてしまう。

床に空間があるというのはゴミコレクターにとって「未熟」の証しである。

よく素人が「私の部屋マジ汚すぎて草生える」と言って床が見えている部屋の写真をアップしているが、そんなの「このTシャツマジかっけー!」と言って乳首が浮いたTシャツ姿を晒しているようなものだ、見ているこっちが恥ずかしい。

「汚すぎて草生える」というからには、リアルに床から草が生えていなければだめなのだ。

ちなみに私の部屋は草はまだ生えていないが床は腐っているので、そのうち生えてくるかもしれない。

インテリアとガーデニングを両立させるのが真のコレクターであり、足の裏が常に汚れているのがゴミ職人のステータスである。

足の裏が綺麗なゴミ職人というのは爪が伸びているAV男優ぐらいプロ意識に欠けている。

逆に言えば私はゴミ以外のものは全く集めない。

集めたところで全てゴミになるので、ゴミコレクターとしての格が上がるだけになってしまう。

よってオタクではあるのだが、収集癖はない。

むしろ推しのグッズをゴミにしてしまうという、愛するものを握りつぶしてしまった悲しきモンスターみたいになってしまうのであえて推しのグッズは持ち込まないようにしている。

私がソシャゲやガチャが好きなのは、私でもJPEGまたはPNGという形で推しをゴミにせずに集められるから、というのもある。

ソシャゲに対し、所詮データを集めてどうするのだという人がいるが何もわかっていない、データだから良いのだ。

もしリアルカードを集めるゲームだったら、推しが4つ角から腐り出すという悲しい光景を目の当たりにしなければならいのである。

それに対してデータは「いつの間にか推しが消えてレアプリが増える」という操作ミスさえしなければ不変なのだ。

これは私のようなゴミ職人の才能を持って生まれたが故に推しを集めることができないジレンマを背負ったオタクにとってはあまりにも画期的かつ革命的なことである。

このように「天才」にも天才故の苦悩があるのだ、むやみに才を持った人を羨ましがるものではない。

ただJPEGコレクターとしては私はまだ若造である。

もちろん推しのJPEGであれば、家、コンビニ、アコムの三角飛びぐらいは余裕だしなんとしてでも出すが、気合いの入ったコレクターともなれば推しだけではなく、推しと関連があるキャラまで揃えようとする。

推しが犬であれば、猿と雉、ついでに桃太郎も揃えないと気が済まないのである。

私にはそういう「一式揃えないと体に青紫色のブツブツができる」という癖がないため、推しが出せれば十分と思ってしまう。

このように、オタクとしては中途半端なコレクターにしかなれない自分である。

よってこれからもせっかく授かったゴミコレクターとしての才を大事にしていきたいと思う。