漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今の家に引っ越して来て10年近くになるが、未だに近所付き合いは皆無である。
人間関係が希薄な都心のアパートならわかるが、田舎の団地でこれはなかなかの快挙である。
このような集落で近所付き合いをしないというのは自殺行為ではないかと思うかもしれないが、私の場合は逆であり、むしろ人と関わってしまったら、その場所にいづらくなる事態が起こるのだ。
そのパターンで幾度となく会社を自主退職してきたこの俺である、もはや面構えが違う。
最後に勤めた会社もとうの昔にほぼクビになったし、人間関係もほぼ途絶えた。限りなく無敵に近い私だが、それでもここに住めなくなったら困るというのはある。
よって「ご近所付き合いをしないことでご近所トラブルを回避する」という戦法をとって来たのである。
その結果、数少ない友人によると、私の家は「住人を見かけない謎の家」になっているらしいが、それでいい。
関わりがないうちは「よくわからないが不気味な家」といううすらぼんやりしたイメージで済むが、関わってしまうと「本当に不気味な奴が住んでいる」ということがバレてしまい、いづらくなってしまう。
ちなみにその後、謎の家は我が家ではなく、もっと住人を見かけない謎の家が別にあるということがわかった。
ヤバい家を隠すのはもっとヤバい家なので、うちのヤバさが目立たないように、その家にはずっとヤバくいてほしいものである。
このように、常に自分のことを迫害される立場で語っているが、近隣住民からすれば近所に無敵の人が住んでいることほど怖いことはないだろう。
実際八つ墓ムーブを起こす人間というのは、被害者意識を持っており「ヤられる前にヤッた」もしくは「ヤられたからヤりかえした」などと供述する場合が多い。
私が、今までコミュニティにいづらくなったのも、まず自分が周囲の人間に何かやってしまったからにほかならない。
そしてやってしまわないためには、関わらないのが一番確実である。
そんなわけで、10年間、とりあえず「もうここには住めねえ」という事態にはならなかったのだが、先日「関わらなくても迷惑をかける」という事態が発生した。
その日、朝8時に我が家のチャイムが鳴った。
我が家の来客と言えば、ヤマト、佐川、そして赤帽、つまりAmazonの手の者だけだ。
確かに彼らの朝も思ったより早いのだが、それにしても早すぎる。
この時点で嫌な予感がしたが、インターホンに出て見ると、それは隣人であった。
何せ近所付き合いが皆無なため未だに隣人も名乗ってもらわないと誰かわからないのだが、それは多分向こうも同じだ。
出て話を聞いてみると、お前の家の庭木が伸びすぎて、我が家の領域をかなり不悪口しているのでなんとかしてくれ、という話であった。
私は反射的にお得意の「今知った」というリアクションで謝り、近日中になんとかすると言ってその場は終わった。
先方からすれば、知らないわけがないだろう、ワザとらしく見て見ぬふりしやがって、だろうが、私はマジで知らなかったのである。
何故なら私は外にも出ないが、庭にすら滅多に出ないのだ。
むしろ、自宅の庭に出た回数より、近所のローソソに行った回数の方が圧倒的に多い。
このように、私は何もしなくても樹木という自然の力で他人に迷惑をかけることができるのだ。もはやこれは才能と言って良いだろう。
こういう才能に恵まれている人間は、もし家を建てることになっても庭に草木の類は植えない方が良い。
もはや生命体がいるだけで己の預かり知らぬところで迷惑をかける可能性があるため、ぜひ庭を造るときは「生命が死に絶えた核戦争後の世界」「マッドマックス」をイメージして設計してほしい。
私はこのような突発的事態に非常に弱く、すぐにとちくるい、さらに事態を悪化させる行動をとりがちである。
私があと10歳若かったら、すぐに斧で木を切り倒し、倒れた木で隣家のガレージを破壊していただろう。
だが、何度も同じことを繰り返せば流石に学習するし、何よりもうそんな元気はない。
とりあえずこういうときは情報を共有すべきなので、夫にLINEしたところ、夫は気づいていたようで近々なんとかしなければいけないと思っていたらしい。
その後、冗談ではなく10年ぶりに隣家側の庭木を見たところ確かに黙ってはいられないレベルで伸びてしまっていた。
このように伸びる庭木をよりによって隣家との境目近くに植えるというのは迂闊がすぎる。メーカーもこんな木ではなく、クリスマスに使うプラ製のモミの木でも勧めてくれれば良かったのにと思ったが、その後夫から「おれが毎年肥料をやっていたからかも」という衝撃の事実が明かされた。
夫は行動力がある、それゆえにたまに私より派手にいらないことをする。