漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「台所」だ。

結婚した時、夫が「飯だけは作ってくれ」と言ったので、その言葉を忠実に守り今でも飯だけは作り続けている。

つまり「他は限りなく何もしなくなった」ということだ。

やはり何事も最初が肝心である。

結婚初期に発した言葉は全て言霊となって、いつか自分に襲い掛かるので慎重に発してほしい。

そんなわけで、大体のことは自分でやる夫も料理だけはあまりしない。

よって現在我が家の食事のほとんどはホットクック先生が作成し、私はその内蓋をつけたり外したりするアシスタントとして精力的に活動している。

では夫は調理スペース、そして冷蔵庫内のことに関してはノータッチかというとそんなことはない。

むしろそんなことをしたら大変なことになってしまう。

台所というのは動物の死骸をはじめ、生ものが多く保管される場所である。

管理が杜撰だと、死骸から新たな生命体が生まれるという奇跡が起こる可能性があり、その奇跡は我々を救うものではなくどちらかというと害をなすケースの方が多い。

女なら料理ができるだろうと思うのも偏見だが、女なら衛生的に管理された環境と食材で料理ができると思い込むのは己の命を危機に晒す勘違いである。

そもそも、自分の口に入るものに対し無関心というのは平和ボケがすぎる、世が戦国ならとっくに毒殺されているし「男子厨房に入るべからず」などと言いながら食中毒で死んだ奴も少なくないはずだ。

私の処理が面倒なものを「とりあえずそこに置く癖」は台所でも遺憾なく発揮されている。

とりあえず置く場所は大体冷蔵庫であり、床に置いていないだけ褒めてもらいたいが、逆に「冷蔵庫に入れておけば永遠に腐らない」と思い込んでいるため、とりあえず冷蔵庫に置いた後何もしないのである。

よって夫は冷蔵庫にとりあえず置かれたまま悠久の時を過ごそうとしている元食べ物だった何かを検品し、捨てるという業務を担当している。 また検品されるのは冷蔵庫だけではない。

キッチン周りというのは、気がつくと一生使わない調味料を陳列させる場所になっており、調味料のおかげで料理をするスペースがないということも稀によくある。

動物の死骸や動物の死骸を使って作った何かであれば、さすがの私でもあからさまに腐っていたり、新たな生命が爆誕したりしていれば捨てる。

しかし調味料はそういうダイナミックさに欠け、静かに腐っているから逆に曲者であり、気がつけば年単位で「ウォール調味料」として、いつ巨人が攻めてきても良いようにキッチンカウンターを守護する存在となっている。

また動物の死骸などに比べ、調味料というのは中のものをだし、容器を洗ったりと捨てるのが面倒臭い。

またどれだけ腐っていても蓋さえ開けなければ無害というのも調味料が城塞化しやすい要因の一つだ。

そんな守護神たちをチェックし、あまりにベテランすぎる奴を退役させるのも夫の仕事である。

ここで重要なのは、たとえ自分の金で買ったものであろうとも、捨てられたことに文句を言わないことである。

新たな生命が爆誕した食い物を捨てられて「まだ食べるつもりだったのに!」と逆ギレするのは難易度が高いが、片付けられない人間というのは、自分では片付けない癖に、他人が自分のものを片付けたり捨てたりすると、たとえそれがゴミでも怒る場合が多いのだ。

片付ける側からするとこれは「お手上げ」であり、家は急速にゴミ屋敷化していく。

よくネットに「嫁に趣味のものを勝手に捨てられた」という話が投稿され、捨てた側が猛烈に批判されていることがある、確かに「人のものを勝手に捨てた」という点だけを切り抜くと捨てた側が悪い。

しかし「何故そのような蛮行に及んだのか」という背景を見ると「捨てられたのがお前じゃなかったことに感謝しろよ」としか言いようがない場合があるのだ。

自分のものを自分で管理しないのであれば、それを捨てられても文句は言わないぐらい覚悟は必要である。

よってたまに、仕事の資料を夫に捨てられてしまうことがあるのだが、それはちゃんと捨てられないように管理していなかった私が悪い。

よって私は「そうか、捨ててしまったのか」と、甲子園の砂を捨てられた阿久悠の親父のように穏やかに受け入れる。