漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「灯台下暗し」である。
灯台下暗しとは答えや肝心なことは意外と自分の身近にあってわかりにくい、という意味である。
つまり「誰かウンコ漏らしてね?」と周囲の人間をひとしきり疑った後、足元を見たら自分が犬のクソを踏んでいた、ということだ。
私などは、斜め下45度から上に視線を上げることがないので「他人の足元のことによく気づく」という極めて付き合いたくないタイプの人間なのだが、その反面、自分の眼前に迫りくる電柱には気づかなかったりするので、近くにある物ほど気づかないというのは真実なのかもしれない。
正直、片付けられない人間の人生は、灯台下暗しと神隠しの反復横跳びである。ちゃんと韻を踏めているところもポイントが高い。
片付けられない人間には部屋から一歩も出ていない、むしろ椅子から立ってもいないのに先ほどまで持っていたアップルペソシルが完全に消失、という現象がよく起こる。
もちろんそれが30年後に全く別空間から発見されるということはなく部屋の中から見つかるのだが、全く記憶がない上に予想がつかない場所にあるため発見に時間がかかる。
片付けられない人間が頻繁に物を消失させ、それを全く記憶にない場所から出現させるのは、高い「衝動性」そして「無意識力」のなせる技なのだ。
おそらく普通の人は仕事をしている最中に、部屋に虫が侵入してきてもすぐに追いかけたりはしないと思う。
しかし衝動性が強い人間はその時気になった物を反射で追い、それまでやっていたことを反射で放り投げるのだ。
よってその時持っている物は瞬時に「邪魔」になるため、とりあえずどこかに置くのである。
反射的行動なため、もちろん「無意識」なのだが、平素床に物を置かない人は無意識でも床に物を置かないのではないかと思う。
むしろ無意識だからこそ習性で「いつもの場所」に置こうとするのではないだろうか。
よって探す時も、いつもの場所から探せば良いのですぐ見つかったりする。
逆に片付けられない人間にとっては、ありとあらゆる場所が「物を置く場所」なので、無意識に置く場所の範囲が「部屋全体」であり、探す時も「予想が全くつけられない」のである。
よって、見つかった時も「そういやここに置いたわ」という記憶が一切なく、発見できて安堵というより「こわっ…」という感想しか出てこない。
しかし何せ狭い部屋の中での出来事なので「全く予想がつかないところから発見される」という現象を繰り返すことにより「全く予想がつかない場所」の傾向がわかってくるので、そこから探すと意外と早期発見されたりする。
例えば先ほどまで握っていたはずのタブレットのペンがなくなった時、素人であれば、タブレットの下に隠れてないか、足元に落ちてないか探すと思う。
だがこれだと捜索範囲が「前」そして「下」から動いていないため永遠に見つからないのだ。
「思ってもみないところから見つかる」というのは、まず「方向」からして意表をついてくるのである。
この場合は「上」もしくは「後ろ」から発見される可能性が高い。
上は流石にないだろうと思うかもしれないが「デスクトップの上」とかから平気で発見されたりする。
だがそれよりも盲点なのは「後ろ」である。
座っている位置より後ろの床に落ちている、などというチャチな物ではない。
「自分が座っている椅子の背もたれ部分の溝」から発見されることが結構あるのだ。
つまり「自分のケツに敷いていた」ということである。これ以上灯台下暗しなことがあるだろうか。
何故さっきまで手に持っていたペンをケツに敷いているのか、と思うかもしれないがそれは私にもわからない。
よって、物を無くした時はまず「ケツに敷いてないか」を確認してほしい。