漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「免許の更新」である。

片付けられない人間の特徴として「とりあえずそこに置く」というのがある。

「サッポロポテトを何本鼻に詰められるか、右と左で記録は違うのか」等、自分の気になったことは思いついた瞬間実行に移し「右3、左4」もしくは「鼻血」という結果を瞬時に出すが、その反面、興味がないこと、または目を逸らしたいことは来世まで放置しようとする。

その来世への第一歩が「とりあえずそこに置く」である。

置き続けることにより当然、置くスペースは無くなっていく。そして「そこに置かれる物たち」の終着駅が「床」なのである(新書「なぜアイツらは床に物を置くのか」より)。

夫は私と対角線上にある星で生まれているので、とりあえずそこに置くことはせず、すぐに対処するか所定の位置に置く。

ただそんな夫が唯一「とりあえずそこに置く」物がある。

それが「私の郵便物」だ。

とりあえずそこに置く奴は郵便物もとりあえずそこに置いているのだろうと思うかもしれないが、それは認識が甘い。

そういう奴は「とりあえず郵便受けに置いておく」のである。

必然的に郵便受けの物を取るのは専ら夫になるのだが、流石の夫も私宛にきた郵便物の対処は出来ないし、捨てることも不可能だ。

よって夫は「とりあえず私の郵便物を置くカゴ」を購入し、とりあえず私の郵便物はそこに放り込むようになった。

つまり、税務署や役所の方が「こののっぴきならねえ色の最終通告を見れば流石に開封するだろう」とNERVみたいなデザインの封筒を送っても、郵便受けに積読されるか、同居家族がとりあえずそこに置くかで「本人の目には一切触れてない」場合があるので、封筒をどんなに目に優しくない色にしても無駄な場合がある。

そんなわけで、私の郵便物をとりあえずそこに入れるカゴは瞬く間に許容値いっぱいとなった。

本来ならそのまま数十年放置されのちに「関東ローム層」のように、新しい地層として登録される場所となるのだが、私は確定申告を税理士に委任しているため、郵便で届く明細などを送らなければいけないのだ。それをしなければ自ずと、税を脱することになってしまう。

こう見えても「法は犯したくない」と思っているので、3カ月ぶりぐらいに考古学者としてそのカゴの発掘に取り掛かることにした。

そしてそのカゴから1枚の封筒が出土した。

一見、なんの変哲もない圧着ハガキである。しかし長年郵便物の発掘をしている俺の目は誤魔化せなかった。

そのハガキには「免許更新案内通知」と書かれていた。

時は12月、私の誕生日は11月22日、つまり更新期限まで1カ月を切っている。

これに気づかなかったら、免許が切れていることにすら気づかず無免許運転という法を犯すところだった。

私の考古学者としての技術、そして「勘」が最悪の事態を回避させたのだ。

そして私は「俺じゃなかったら見逃しちゃうね」とつぶやいて、そのハガキを「とりあえずそこに置いた」。

当たり前である。まだ期限まで1カ月弱あるのだ、見つけてすぐ更新に行くようなら「そこに置きニスト」を名乗る資格はない。

そして私が免許を更新しに行ったのは12月20日、失効の2日前である「失効期限当日」に行かないところが、まだ私の青いところである。

もちろん無職の特権であるド平日に行ったので、更新センターは空いている、というわけではない。

よく田舎の人間が「人間より獣の方が多い」という自虐ネタを言うが、それは昔の話であり、今そんなことを言ったら田舎エアプ勢と言われても仕方がない。

田舎に最も多く生息する生物は「老」である。老は無職よりも曜日を超越した存在であり、老がいるので平日の免許センターでも割と混んでいる。そしてそこかしこから「高齢者講習」や「ペースメーカーの証明書」という、刺激的な言葉が聞こえてくる。

老の免許は社会問題だが、現実として「免許を返納した後、老がどう生きるか問題」が全く解決されていないので、老ばかりを責めるのはお門違いである。

免許を更新する際、視力検査をするのだが、これが割と形骸化しているのは周知の事実であり、老が合格するまでトライしている姿は田舎の更新センターあるあるだ。

そして私の番になったのだが、驚くほど見えなくなっており、何回かトライしてなんとか通過した。

私も、この地域に最も多く生息する生物「老」だったのである。

そして、5年ぶりに撮影された免許用の写真を見て、再度「老」だと認識した。

免許更新は自分がもう老なのだ、と理解するためにも必要な作業である。