漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「今一番欲しいもの」である。

年を取ると物欲が減ると言うが、確かにそれは真実だ。しかしそれは煩悩がなくなったわけではない。減った物欲の分だけ「現ナマが欲しい」という気持ちが強くなっている。質量保存の法則でしかなく、むしろトータルで増えたまでである。

いくつになっても物欲がなくならないと言うのも厄介ではあるが、逆に言うとまだ「人生と自分に希望を持てている」と言える。

最低限の衣食住に関わるもの以外を欲しいという気持ちは「この布団乾燥機さえ買えばこの冬は勝ち確」という期待と希望から起こる場合が多い。

逆に「この布団乾燥機を買ってもオフトゥンの外が余計地獄になるだけ」など、それを買ったことによって見えるビジョンが一世風靡セピアでしかないと、それが欲しいという気持ちも雲散霧消してしまうのである。

そもそも命に関わる以外の出費は全部無駄遣いなのだ。

「将来」とか「老後」を考えるなら、買わないというのが最善なのである。そういう正論を「いつサ終するかわからん推しのJPEGを捨ててまで長生きしたいか?」という範馬勇次郎理論や「このマリトッツォを美味いと思えるのは今だけ、30年もすればクリームを挟んでるパンだけくれとか言い出す」という乗るしかないこのビッグウエーブニキの召喚でねじ伏せることにより購入に至っているのだ。

しかし、年を取ると正論をねじ伏せるだけの体力を補う気力の限界、それに反比例して将来や老後に対する不安は増すばかりなため「今この瞬間美味いだけの脂と炭水化物団子より、老後を安心して暮らすだけの2兆円が欲しい」という、物欲を超えたところにある、純粋かつ切実な、結晶のごとき金銭欲に目覚めるのである。

やはり人間も年を取ると無駄なものが削ぎ落とされてくる、ということだ。

ただ、たまに無駄と一緒に人として大事なものも削いでたり、逆に「流れる手つきでコンビニおにぎりのパケをはがし、おにぎりの方をプラゴミにダンク」するように、気づいたら純粋な無駄だけ残っていたりという場合があるだけである。

逆に言えば物欲が消えない人は「今これを買えば私の人生はこれだけ良くなります、まずはこちらのパワポをご覧ください」というプレゼンで、毎回「しかし、君、老後が」と言ってくる頭の固い役員を説き伏せているということだ。

企業であれば、リスクを取っている分「突然ドアに弁護士事務所の連絡先が書いた張り紙がしてある」などの破綻も起きやすいが、そっちの方が発展性がある。片やいつも会議が「やっぱ老後の方が大事ですよね」で終わる企業は先細りである。

人生もそれと同じでプレゼン力が高い人生は破綻もしやすいが、その企画が成功すれば楽しいものになる。

しかし毎年プレゼン資料が日付を変えただけで同じ人生は徐々に黄ばんでいくだけだ。

もちろん今でも物欲がないわけではないし、欲しいものはいっぱいあるが、それも「食洗器」や「暖かい肌着」など娯楽よりは生活に根差したものばかりであり「家の入り口よりデカいスノーボールが今すぐ欲しい」というような痙攣のような物欲はあまり起こらなくなってきた。

また、年を取ると、体力や健康、時間、強靭な膀胱など、金では買えないものの方が必要になってくる。

今一番欲しいものは何かと聞かれたら新しいパソコンなのだが、それも仕事用なのでスノーボール的欲求ではない。

しかし私が真に欲しいのは「パソコンを置くスペース」なのである。

正直新しいパソコンを購入することはやぶさかではない。しかしそれを置くためには、今あるクソデカパソコンを部屋から移動し処分しなければならない。

または「今私が座っている場所に置く」という手もあるが、今度は私が存在するスペースがなくなるという問題が浮上してくる。

仮にパソコンを買う金があっても、パソコンを迎え入れる準備をする気力と体力がないのだ、ついでに言うとヤマダデンキに行く元気もない。

つまり、欲しいものがあって、買う金があっても、それを買いに行きセッティングすることを考えると物欲を凌駕する「疲れ」が発生してしまい、その労力を考えれば、今ある轟音を発するだけのデカい箱を使い続ける、もしくは「とりあえず横になる」という選択肢を取りがちになってくるのだ。

おそらく若いうちは「物欲」とは「流される」ものであり、流されないように踏ん張るのが大変、という認識だったと思う。

しかし、加齢により自分の足やケツの方がどんどん重くなり物欲に流されないどころか、むしろ物欲とタッグを組んで己を流していかないと、洋服など、必要なものすら買わなくなってしまったりする。

年を取ると何事も勢いがなくなり、若い頃は濁流のようだった物欲も、いつしかジジイの小便になる。浪費は良くないが「物欲に流される」というのも、今しかできないことかもしれないのだ。

残尿のような物欲と一緒に「もう限界だいい加減パンツを買い替えろ」と自分を説得しなければいけなくなる前に、まだ金を取り返せる若いうちに物欲スプラッシュマウンテンに流されておくのもまた一興なのである。