漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「言われて嬉しかった言葉」である。
「あなたは自己評価が低い割に自分を大事にしすぎている」
こんなことを言われて嬉しかったか、と言われると全然嬉しくないのだが、あまりにも印象に残り過ぎている言葉である。
ちなみに言った人の名誉のために言うが、タバコを吸っている奴に突然「今まで吸ったタバコ代であそこのベンツが買えたんですよ?」「ちくわ大明神」と話しかけてくる見ず知らずの人間のように、こっちが昨日見た夢の話をしている最中にいきなりそんな鋭利なことを言ってきたわけではない。
確かに他人の夢の話などどんな手を使ってでも止めたいとは思うが、その際はストレートな暴力でお願いしたい。
相手は「私の悪いところを忌憚なく言ってくれ」という、人類史上もっとも厄介な質問に答えてくれただけである。
こういう質問というのは、本当に忌憚なく答えると、相手は自分から言い出した手前怒りはしないが、あからさまに無口になり、ストローの飲み口をまっ平になるまで噛んだりとわかりやすい「不機嫌」の形態模写をはじめる。
つまり、その質問に答えた方にとっては何の得もない、むしろなぜタダでそんな質問に答えなければいけないのか、という話なのである。
よって「特にありません」という、誰もが早く帰りたいとしか思っていない帰りの会の、日直の報告みたいなことを言うしかないのだが、そう言うと「そんなことはないだろう、素直に言ってくれ」と食い下がってくるため、どちらにしても無益な時間を過ごすはめになってしまう。
つまりこの質問をされた時点で「損確」なのである。
よって、不利益しかもたらさない存在として損切りされても全く文句は言えないので、本当に正直に答えてくれた相手には感謝しているし、今からでも500円ぐらいは払いたいと思っている。
冒頭の言葉は辛辣ではあるのだが、あまりにも的を射すぎているため、今でも私のことを説明する時に使っていたりする。
つまり、タダで厄介な質問に答えさせた上に、それをパクっているため、もしまた会う機会があったら使用料としてもう500円は上乗せの必要がある。
またこの言葉は「私のことを良くわかっている」という意味ではこれ以上ないものであり、そういう意味では「悪いところなどない」と言われるより「嬉しい」と言える。
悪いところがないわけはないのだ。人間としての五感が一つでも生きていれば絶対に一つは見つかるはずである。
悪いところがないというのは、俺様のファイブセンスを一つも使いたくない存在、つまり「お前に全く興味がない」ということである。
承認欲求という言葉があるように、人間は基本的に自分に興味を持ってくれる人に好感を持つものである。
よって、モテる人というのは、他人に興味を抱かれやすい以前に、まず本人が他人に関心を持てている人の場合が多い。
モテないと嘆いている人は、お前が全く他人に興味がないくせに、なぜ他人がお前に興味を持ってもらえると思うのか、というケースが多いのだ。
よってたとえ欠点であっても「お前ってこういう人だよね」と、他人に興味を持たれ分析してもらった、というのは嬉しいものなのだ。
「君って高校の時、文化祭の時だけはりきるタイプでしょ?」と全く見当違いのことを言われると腹ただしい時もあるが逆に「そう見える?」と、自分でも気づかない部分に気づいてくれた、という意味で嬉しかったりもする。
逆に「文化祭とか全くノれないけどサボる度胸もないから学校行事には全部『とりあえずいた』タイプだよね?」と図星を突かれてもムカつくのだが、それも「そこまで私のことを理解してくれているなんて」と嬉しくなる場合もある。
よって、もし好感度を上げたい相手から「私の悪いところを言って」と言われたら、好感度を一気に上げるチャンスでもある。
しかし、そんな面倒な質問をしてくる相手の好感度を上げたいと思うことがあまりなさそうなところが悩ましいところである。
このように、言われて嬉しい言葉というのは、必ずしも褒め言葉ではない。
褒め言葉であっても「元気そう!」と100人中120人に褒められたら「他に褒めるところがないからそう言っているだろう」と逆に不興を買う場合がある。
作家としては「おもしろい」と言われればもちろん嬉しいし、言われ飽きるということもない。
しかし最近「絵を描くことが微塵も楽しそうに見えない」と言われた時も、それはそれで「いいところに気づいたな」と嬉しくなってしまったので、人が喜ぶ言葉にテンプレというものはない。